BUMP OF CHICKENのアルバム「ユグドラシル」に収録されている「オンリーロンリーグローリー」。
全体的に名言と言えるくらい、心に刺さる歌詞です。
しかし初めて聴いた当時中学生だった私は、経験の浅さからか、ところどころ意味が理解できませんでした。
なので、あくまで私の解釈ですが、疑問を抱きやすい部分を解説していきます。
作詞:藤原基央
突然「そして」で始まるワケ
歌詞の冒頭。
突然「そして」から始まります。
「いいえ私はさそり座の女」ばりに唐突ですね。
しかしこの歌詞にはこれといった過去の描写がありません。
そこで、Cメロに「ヒント」が落ちています。
傷跡に雫が落ちた
作詞:藤原基央
傷跡、ということは、過去に傷つくようなことがあったんですね。
1番に「しんだ心」が出てくるので、「ころしたのは他ならぬ僕だ」の「ころした」というのは心のことです。
何かに挑戦した、でもダメで傷ついた。
そして、心をころしていた。
冒頭の「そして」は、心をころして歩き出せずにいる状態から、
その身=僕の体は「どうするんだ」
と続くことになります。
「心」が「体」に対して「その身をどうするんだ」と言っているから、「その」という相手の持ち物を指す指示語を使っているんですね。
心というのはこの歌詞では「本当に望むもの」といったところでしょう。
闇に「守られる」とは?
闇に守られて 震える身に 朝が迫る
作詞:藤原基央
基本的に、「闇」というワードはネガティブな印象を与えるもので、ましてや守ってくれるものではないです。
では、「闇に守られ」るというのは、この曲ではどういったことを指すのか。
ヒントは1番と2番のサビ直前にあります。
目隠しをしたのも耳塞いだのも
すべてその両手
作詞:藤原基央
目隠しをする、耳を塞ぐという行為で、自ら「闇」を作り出していたことが分かります。
闇を作りだしていたのは、世の中の眩しさを感じないようにするためですね。
さらに、
笑われることなく 恨まれることなく
輝く命などない
作詞:藤原基央
つまり、失敗やそれに伴う嘲笑、恥、そして上手くいったとしても恨まれたり妬まれたりすることを恐れていたことが分かります。
「眩しい」という言葉は、この歌詞の中では「わずらわしさ」「嫉妬」「後悔」などと変換できます。
世の中の輝かしいものを妬んだり、「自分にはできない」と目を背けたい気持ちを、眩しさと表現しています。
でも結局、自分を守っていた「闇」は、自分で目隠ししていただけだった。
つまり、
「闇に守られ」る=自分の気持ちから逃げている
ということです。
「僕ら」「二人」は誰と誰?
結論から言うと、これは
「僕の本当の気持ち」と、「そこから逃げている僕」
それぞれ1人格として考えての
「僕ら」「二人」
でしょう。
まだ生きていた 僕の中に一人で
呼吸を始めた 僕と共に二人で
作詞:藤原基央
僕の中に生きていたのが、「心」=本当の気持ち。
何度も出てくる「命」という言葉はこの
「二人」
=「体+心」
=「逃げていた僕と、僕が本当に望む気持ち」
を指しています。
それを踏まえて再びCメロへ。
Cメロでは、息絶えた心が、「僕」と一緒になって呼吸を始めた、つまり命を吹き返したんですね。
君だけが貰うトロフィー
作詞:藤原基央
1番では「君」が出てきますが、これは「僕」と同義です。
1番が僕の「心」目線の歌詞になっているからです。
「その身」「その手」などの体の部位に、相手のものに対して使う「その」がくっついていますね。
つまり自分のものではないんです。
よって、「心」から見て、「君」は「僕」ということになります。
冒頭の
自らに問いかけた言葉
作詞:藤原基央
も、「しんだ心」が、「僕」に対して
「その身をどうするんだ」
=「君はこれからどうしたいんだい?」
と問いかけていると解釈できます。
2番冒頭では「僕ら」、つまり本心と建前が一つの「命」になった状態になっています。
BUMPの歌詞にはこういった複数登場しているように見えて本質的には1人を指しているパターンが多い気がします。
「涙のふるさと」なんかも、「君」「俺」はどちらも「僕」だと解釈しています。
「ダイヤモンド」では「君は僕だ」なんてはっきり言っています。
トロフィーが意味するものは?
こういった具体的な名詞が出てくると、昔の私はどんな意味が隠されているのか、何を意味しているのか…と勘ぐって答えが出なかったです。
そもそも、トロフィーは誰かと競って、優位に立った者が手にするものです。
この歌詞の中ではトロフィーと並べて語られているものがあります。
それが「光」です。
光は、希望や目指すものの比喩として表現されることが多いです。
飛び続けてる光ならば/
それこそが狙うトロフィー
作詞:藤原基央
というフレーズから、この歌詞でも
「トロフィー=光=目指すもの、夢や目標」
と捉えていいでしょう。
そうすると、トロフィーというのは、「僕」を特別にしてくれるもの、と考えることが出来ます。
過去の何かしらの出来事によって「自分は特別ではない」「才能がない」などと気づいて、「僕」は夢や目標を諦めていたのでしょう。
あるいは過去の挫折によって、自分が特別ではないことに絶望したのかもしれません。
この歌詞では「光」がつくものでもう一つ「栄光」という言葉が出てきます。
まさに、タイトルにも出てくる「グローリー」ですね。
選ばれなかったなら選びに行け
ただひとつの栄光
作詞:藤原基央
このフレーズは昔から大好きです。
この歌詞でのトロフィーは、本来の「優位に立ったものに与えられる」ものではなく、「特別な能力はないけど、自ら選び取りに行く栄光」だと解釈できます。
おまけ:大人がグッとくるポイント
置いていかれた迷子 遅すぎた始まり
さぁ何を憎めばいい
目隠しをしたのも 耳塞いだのも
すべてその両手
作詞:藤原基央
私は大人になってから夢を見つけました。
プロフィールにも書いたように、「作詞家」です。
…いや、夢の片鱗は昔からあったんです。
でも、「難しい」「才能がない」と自分に言い訳して目隠ししていたんです。
それこそ、「遅すぎた始まり」でした。
「さぁ何を憎めばいい」。
それは言い訳ばかりの自分です。
でももう逃げません。
確かに夢を追うには遅かったかもしれません。
実際、周りが夢を叶え始めたりしているのを見て刺激を受けています。
でも、今動かないと10年後、今よりもっと「遅すぎた」と後悔してしまいそうで。
オンリーロンリーグローリーは、学生時代の私が理解に苦しんだ歌詞の一つでしたが、大人になってようやくその良さがグッと身に沁みました。