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【考察】BUMP OF CHICKEN『パレード』-BUMPの哲学観を垣間見れる歌詞を考察

『パレード』は、漫画が原作の映画『寄生獣』の前編の主題歌でした。

それだけにBUMPの歌詞らしからぬ世界観で、曲調も当時の(というか最近の)BUMPっぽくないダークな感じでしたね。

MVも寄生獣に寄せたような不気味な映像で、好き嫌い分かれるものでした

歌詞は完全に『寄生獣』のストーリーに寄せています。

でも、だからといってBUMPの哲学とは別モノかというと、全くそんなことはなく。

むしろ”『寄生獣』という作品を通じて藤くんが何を思うのか”というような科学的、哲学的な思考がまとまっている感じがします。

ラジオ「SCOOL OF LOCK」では科学の先生でしたしね。

歌詞の順番に、BUMP哲学が垣間見れるフレーズ・ワードを見ていきましょう。

「呼吸」

帰り道 僕の足 白黒の真昼

呼吸はどうか 普通かどうか 手を当てた胸に

記憶が揺れる 混ざって溢れる

離さないで 離さないで 誰がそこにいるの

『パレード』作詞:藤原基央

『混ざって』というのは、『寄生獣』の作中で寄生生物の細胞が身体に混ざってしまったことも表現されています

『呼吸』というのは、BUMPの中では「生きている証拠となる動作」として表現されることが多いです。

BUMPの歌詞では、挙げたらキリがないくらい『呼吸』というフレーズが出てきますが、たとえば『オンリーロンリーグローリー』では「確かにそこに存在している」ことの表現として『呼吸を始めた』というフレーズが使われています。

過去に歌詞考察をしているので是非読んでみてください。

『パレード』の歌詞でも、『呼吸』が正常であるかを確認することで「自分の存在」の正しさ=命を確かめようとしています。

「傷」

途中のまま 止まったまま 時計に置いていかれる

歩かなきゃ 走らなきゃ 昨日に食べられる

どうしても見る 見たくない傷

『パレード』作詞:藤原基央

『傷』という言葉もBUMPの歌詞にはよく登場しますね。

毎回共通するのは、傷は過去のものであるということ。

『時計に置いていかれる』のも、『昨日に食べられる』のも、過去の傷(事実、出来事)に囚われているからです。

「心」

忘れないで 忘れないで 心だけが世界

『パレード』作詞:藤原基央

『心だけが世界』というのは、BUMPの哲学をよく表したフレーズなのではないでしょうか。

先ほどBUMPの歌詞において、『呼吸』は「自分の存在」「命」であると考察しました。

そして『心』というのは、自分の本質的かつ不可侵的な部分なのではないでしょうか。

科学的に言えば、心なんてものは存在しません。

脳の働きのうち、より高度で人間特有なものを便宜上『心』と呼んでいるだけです。

おそらく、科学が好きな藤くんもそれを解っているでしょう

だからこそ、同じ曲の歌詞でわざわざ『心』とこの後下記フレーズで出てくる『思考』を分けて表現しているというのもあるのでしょう。

どれが誰 誰が僕 白黒の真昼

思考はどうか 自分かどうか どこまでが本当か

『パレード』作詞:藤原基央

心も思考も、脳の働きには変わりありません。

ただ心の方がより自分の本質に近く、不可侵であるのでしょう。

「鏡」

数秒後出会う景色さえも 想像できなくなってしまった

鏡の中でこっちを見ている 知らない人に全て知られている

『パレード』作詞:藤原基央

『鏡』に映る人も、『カルマ』や『smile』はじめBUMPの歌詞でよく登場します。

それぞれニュアンスは違えど、たいていの場合「もう一人の自分」であり「本当の自分」という意味合いで使われています。

ただ、今回はまたちょっと事情が違います。

「鏡の中の人」ではなく『知らない人』。

自分では未来を想像できないものの、鏡の中の人は全てを知っている。

いつもの「自分が自覚していない自分」というようなニュアンスよりも、物理的に自分の中に全く違う自分がいる。

そしてそんな状況に混乱している新一の様子がうかがえます。

鏡は『ラストワン』という曲にも登場するので、考察も読んでみてください。

「灯り」

どれが誰 誰が僕 白黒の真昼

思考はどうか 自分かどうか どこまでが本当か

考える度 溺れそうになる

絶やさないで 守り抜いて 弱く燃える灯り

『パレード』作詞:藤原基央

BUMPの歌詞において、「光」「火」等は生きる上でのなんらかの目印として描かれることが多い気がします。

『Fire sign』では『命の火』という言葉が登場しますがこれは単に「しんでいない」という意味ではなく「自分が自分であること」も含めての「生きているという印」です。

また同じく映画「寄生獣」の完結編のテーマソングだった『コロニー』で出てくる『光』は、「生きる希望」として表現されています。

今回の『灯り』はこれらと同じように「生きている意味」として表現されているのではないでしょうか。

そしてそれが弱くなっている。

ただ、灯りって光や火と違って自然に発生するものではないですよね。

灯りは自分で点けて、維持したり消したりするもの

つまりここでの『灯り』は単に命の火が弱まっているというよりも、自分の意志で維持しなければ!という意味も含まれている気がします。

そうじゃなかったら他の曲と同じように「光」でいいし。

「温度」

覚えている言葉の事 思い出せる温度の事

『パレード』作詞:藤原基央

BUMPの死生観のようなものがこの部分に集結している気がします。

『ロストマン』の歌詞でも、「ぬくもりを失くした」というようなフレーズが登場します。

大事な人であっても、温度は忘れてしまうのです。

さらに五感の中でも触覚は、聴覚や視覚と違って映像などで残せません。

『温度』を思い出せるというのは、まだ自分の「心」がきちんと残っている証拠になるのでしょう。

そしてそのあとのフレーズもなかなか複雑。

なくして消えた消せない事 なくなることが決まっている事

『パレード』作詞:藤原基央

前者はたとえば、自分がAさんを傷つけたとしましょう。Aさんが亡くなっても、”Aさんを傷つけた”という「事実」は消えないですよね。でもAさんが亡くなって自分も忘れてしまえば、その事実は「消せない」けど「消えて」しまいます

後者は、「命」のことではないでしょうか。

『R.I.P.』の歌詞でもこんなフレーズがあります。

ここに誰が居たかっただろう それが僕にもなり得る事

『R.I.P.』作詞:藤原基央

このフレーズの意味としては「まだ生きていたかったのに亡くなってしまった人がいて、そして自分もいつかは亡くなるのだ」。

つまりBUMPの死生観として「死はいずれ訪れるもの」という冷静な考えが念頭にあることが分かります。

『パレード』に戻りましょう。

このフレーズを簡単にまとめると前者が「事実」後者が「命」です。

先ほどの「言葉」「温度」に合わせて「事実」も「命」も、その人がその人たりえる大事な要素

自分の大切な人について、これらの要素をちゃんと自覚できることで、まだ自分が自分であることを実感しているのではないでしょうか。

まぁ「つまりこの歌詞はこう解釈できるのです!」ということは言えませんが

(というか伝えようとしていないと思います)

BUMP哲学の死生観のような部分が列挙されたフレーズだなぁと思うのでした。

「心臓」

もう一度 もう二度と

まだ心臓が まだ心臓が

あの声を 温かさを

確かめて まだ心臓が

『パレード』作詞:藤原基央

『心臓』は先ほどの『呼吸』と同じく「生きている証拠」の表現です。

ただ心臓は少し特殊でして、「心」がある場所として認知されていることもあります。

確かに恐怖や緊張といった「感情」で心臓の動きは変化しますし、アリストテレスも「心は胸にある」と言ってたらしいですしね

『心臓』というワードはいきものとして「生きている」ことに加えて「自分が自分である」という意味も含まれているのではないでしょうか。

だから先ほどの「言葉」「温度」のように「声」「温かさ」と共に列挙されているのでしょう。

「パレード」

パレードは続く 心だけが世界

パレードは続く 僕はここにいるよ

パレードは続く 心だけが世界

パレードは続く 弱く燃える灯り

『パレード』作詞:藤原基央

さて、パレードの字にゲシュタルト崩壊を覚えたところで。

結局『パレード』とはなんだったのでしょう。

最新曲(2021年12月現在)の『Small world』にも『パレード』というワードが登場します。というかこの曲を聞いて『パレード』の考察がしたくなったんですけど。

『Small world』の歌詞も含めて考えてみると、BUMPの歌詞における『パレード』って「人生」のことなんじゃないかと思いました。

いろんな人に出会って、いろんな感情を覚えて。

自分の意志には必ずしも従ってくれずに、目まぐるしく過ぎ去っていく、まさに人生はパレード

…ってことなんじゃないかなぁと思いますが。

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