大人気ドラマ「花より男子」のイメージソングとして人気を博した大塚愛の代表曲「プラネタリウム」。
私の中では『男ウケ抜群のカラオケモテ曲』というイメージだったのですが、先日久しぶりに一人でカラオケに行き、このモテ曲を歌いながら歌詞を見ていたら気づいたんですよね。
…あれ?これ人、亡くなってない?
調べたら都市伝説とかいろいろ出てきたのですが、そんな怖い話ではなく、歌詞だけから読み取れることを考察していきます。
遠距離やただの失恋ではない理由
「君のところに会いに行きたい!」という歌詞から解釈してこの曲を「遠距離恋愛」と言ってる人もいるのですが、私は違うと思います。
2番で
どんなに想ったって 君はもういない
「プラネタリウム」作詞:愛
というフレーズが出てくることから、少なくとも現在進行形の関係ではなさそうです。
じゃあ失恋ソングか?未練たらたらか?と言われると、またそれも違う気がするんですよね。
泣かないよ 昔君と見たきれいな空だったから
「プラネタリウム」作詞:愛
君のところに行きたいと願いつつも、君との思い出を反芻して前向きになっているので、「未練」「憎しみ」というよりは、やむを得ない事情で離れてしまった状況が読み取れます。
さらに、相手がご健在だったら、こんなに辛そうに「泣きたい」「泣かない」なんて言わないと思うんですよね。
リリース当時は携帯電話も普及していて、またいつでも連絡は取れたと思うし、「連絡する勇気がない><」という歌詞にしては思いつめすぎている気がします。
そうなると、「君」は文字通り、もう『この世に』いないのかもしれません。
幼いころの大事な人
この曲は全体を通して、「君」と花火や星座を見た「あの日」を思い出しているときの胸の内が描かれています。
1番の最後に「昔」という言葉が出てきており、さらに2番の歌詞を読み取ると、幼いころ、またはだいぶ前の思い出を引っ張り出していることが分かるのが、以下のフレーズたち。
大きな自分の影を見つめて想うのでしょう
「プラネタリウム」作詞:愛
小さな手を握り締めて
「プラネタリウム」作詞:愛
その時に思い出すのが「小さな手」。
そして、大きくなった自分。
幼いころ、あるいは、今よりも小さかった頃の友人または恋人だったのでしょう。
二人で夜に「抜け出して」公園に行くあたりも、子ども同士の遊びという感じがします。
「亡くなった(自分の)子供」というのも考えられるには考えられます。
しかし、この曲は
1)「花より男子」という学園ラブコメドラマのイメージソングである
2)当時大塚愛さんは子供がいないどころか結婚すらしていなかった
これらのことを加味すると、「亡くなった子供」をテーマに歌詞を書く理由はあまりないかと思います。
「記憶をたどって」というフレーズからも、少なくとも最近の出来事ではないことは明白ですね。
それを踏まえて他の歌詞を読み解く
幼いころに死別したかもしれない、と思うと合点がいくフレーズがいくつかあるので、それらを読み解いていきます。
消えてく子供の声
夕月夜 顔だす 消えてく 子供の声
「プラネタリウム」作詞:愛
遠く遠く この空のどこかに 君はいるんだろう
1番の冒頭はまだ夕方から夜になりかけた時間帯で、「君」と見た星座はおそらく出てきておらず、花火もまだ聞こえません。
それでもあることをトリガーに「君」を思い出した。
それが、「子供の声」。
花火の日、子供がはしゃいでいる声が小さくなっていき、お互いに子供だった「あの日」を思い出し始めたのが冒頭の状況だと考察しました。
あの香り/まっ暗で何も見えない
あの香りとともに 花火がぱっと開く
「プラネタリウム」作詞:愛
思い出したのは「香り」。
「香水」という曲がブレイクしましたが、嗅覚はそのときの感覚まで想起させるほどに強い記憶を呼び起こす力を持っており、あらゆる歌詞(特に失恋ソング)に登場します。
そしてそのあとのサビの「まっ暗」という表現が引っかかりました。
まっ暗で何も 見えない 怖くても大丈夫
「プラネタリウム」作詞:愛
花火が打ち上げられている状況では真っ暗にはなりません。
そもそも星座も見えているので「まっ暗」ではないですよね。
この「まっ暗」は、主人公の心理描写だと解釈しました。
とはいえ、「失恋して未来が真っ暗」という意味でもなさそうです。
さっき考察した通り、「君」との日々は遠い昔のことなので失恋直後というわけでもなく、失恋してお先真っ暗とは解釈しがたい。
おそらく、昔のことすぎて「君」の見た目や声を忘れかけてしまっていることを「まっ暗」と表現しているのではないでしょうか。
でも、そのときの「香り」は覚えていて、そこから「君」を思い出しているのでしょう。
そのあと出てくる「怖くても」の「怖さ」というのは、大切だったはずの人の記憶をどんどん忘れていってしまう怖さなのかもしれませんね。
そして「大丈夫」は、それでも「あの日」と同じ時期には同じ星座が空に輝いている(そしてその星座を覚えている)から、完全に忘れてしまうことなんてないという「大丈夫」でしょう。
この公園/あの星座
「こそあど言葉」が妙に多くて、リリース当時小学生だった私は違和感を抱いていました。
「この公園」
「あの星座」
「あの香り」
「ここにある」
「この空に」
二人で”抜け出して”星座や花火を見に行ったことから、この思い出は二人だけの思い出なのかもしれません。
だから、具体的なことはあえて描写していないのかもしれませんね。
「この」「あの」とだけいえば「君」は覚えていてくれているはずだ、だから私は大丈夫、という前向きな気持ちも感じられます。
さらにこれらのこそあど言葉は、この曲が「子供のころの思い出」であることを裏付け証拠にもなっています。
子供の頃って感情や語彙が少ないじゃないですか。
だから「あの公園」の正式名称も知らないし、「あの星座」の名前も具体的には覚えてないのかもしれません。
「プラネタリウム」の切ない意味
で。
さんざん星座や花火の話題が出てきて、タイトルは「プラネタリウム」。
プラネタリウムなんてどこにも出てこなかったじゃない!!
と叫びたくなってしまうようなこのタイトルには、切ない意味が2つ隠されているのではないかと考察しました。
①再現した景色でしかない
「あの日」見た星座が空に浮かんでいようが、香りを思い出そうが、結局は君が横にいない時点で単なる「思い出」でしかないんですよね。
今見ている景色は、プラネタリウムのように再現した景色でしかない、という心情が込められていると解釈しました。
②「君」はもういない
いつまでも覚えているけど、結局は記憶の中の「君」にしか会えない。
「君」という存在自体が、プラネタリウムのように再現されたものでしか存在しえないということだと解釈しました。
香りも星座も実際にそこにあるけど、「君」は実際に今ここにはいない、つまりプラネタリウムのような存在ってことです。
いずれにしても、とてつもなく切ない…。
というわけで、何年も前の曲ですが、歌詞を改めて見てみるとものすごく切ない歌詞であることが分かりました。
君のところへ会いに行きたいよ~という可愛らしいサビのせいか、大塚愛さんの声の後押しもあってか、私の中で「カラオケ最強のモテ曲」だったのですが、なんかそんな軽々しく歌っていいのかな…なんて思ってしまいました。
まぁでも大塚愛を歌っている女性はかわいく見えるので(当社比)どんどん歌いましょう。