くみこんこと高橋久美子さんの歌詞が好きでね。
過去にも「愛捨てた」の感想を書かせていただきました。
「風吹けば恋」は、平成一桁生まれの青春時代を彩ったガールズバンドの代表曲にして一気に世間的に知名度を上げた曲でしょう。
青春の代名詞、シーブリーズのCM曲でもありましたし。
では、なぜこの曲がこんなにも流行ったのでしょうか??
歌詞の考察をしながら、この曲がヒットした要因を「歌詞」の観点から探っていきます!
ひねくれた女の子
はっきり言って努力は嫌いさ
はっきり言って人は人だね
作詞:高橋久美子
はっきり言ってお伽話は罠
期待したってかぼちゃはかぼちゃ
作詞:高橋久美子
これらの部分を見る限り、「私」は結構冷めてる(笑)
努力とはきっと女の子らしくするとか、ファッションやらメイクやらを覚えることでしょう。
人は人、自分は自分。
だいぶ我が強く、世間の「あるべき」みたいなものを跳ね除けて生きてる子のようです。
シンデレラのようにお姫様になれたりかぼちゃを綺麗な馬車にしてくれる魔法もないし、そうする努力もしたくねぇと。
でも好きな人ができてしまって気づけば身なりに気を遣っている自分がいる。
いやー。恋ですね。これぞまさに。
恋をして変わってしまった!
走り出した足が止まらない
行け! 行け! あの人のところまで
作詞:高橋久美子
サビでは、
好かれる努力もしたくねェ、
王子の元に運んでくれる馬車もねェ、
魔法もねェ
というメンタル吉幾三ガールが、恋をして、走り出した足が止まらなくなっちゃってます。
恋は人を、特に女の子を変えてしまう。
恋に恋してた当時青春真っ盛りだった私たちは恋に一途なこの歌詞に恋してました。
別に恋をしていなくても、このサビにはきゅんとしてしまったものです。
カラオケで歌いまくって高音が出るようになった人も多いのでは?
この比喩としての「走る」というのが、楽曲やCMのターゲット層、まさに思春期まっただなかの少年少女に刺さるいい表現ですよね。
学校って、体育祭だったり部活だったり遅刻しそうだったりで、1年に少なくとも1回は走らなきゃいけない場面があるじゃないですか。
若者にとって「走る」って、すごく身近な行為なんですよ。
実際、リリース当時中学生だった私も、走っているときにこの曲を思い出すこともありました。
曲のキャッチーさはもちろん、この「走り出した足が止まらない」というフレーズが若者の脳にこびりついたためにこんなにも売れた曲だったのかな、と今になって思います。
聞き心地のいいアクセント
「私の両足」の高音が年を取るにつれ出なくなり、カラオケで歌うこともなくなってきてしまいました…。
このサビ、そんなに突飛なことを歌っている訳ではないのになんだか聴き心地がよくて、なんでだろう?と考えてみたのですが、アクセントになる部分がほとんどア行なんですよね。
走り出し「た」足「が」とま「ら」ない
せ「な」かを押してよ
聴き心地もよけりゃ歌ってても気持ちいい
もちろんこれだけがヒットした要因ではないと思いますが。
大人になって改めて聴くチャットモンチーもいいものです。
そもそも彼女たちが20代で書いた歌詞が多いはずですから、学生時代にチャットモンチーを聴いてた我々世代は大人になった今だからこそ、チャットモンチーをより存分に味わえるのではないでしょうか。