ちょっと心が疲れた時に出逢った
私はこの「日常」というアニメに、「ちょっと疲れたな」という気分の時期に出逢ったんです。
きっかけは、アマプラで観れる作品を探していた時に、ユルそうなサムネイルを見つけただけという、ささいな出会いでした。
私は自覚はないけど割と真面目に考えすぎてしまう性格のようで、コロナでいつ仕事がなくなるかという不安の中でいろいろ頑張りすぎてしまって、ちょっとメンタルが落ちちゃったんですよ…。
そんな中、しばしのお休みを取ろう!というときに見始めたこの「日常」が楽しくて癒しで…。
毎日の楽しみになっていました。
そんな時に出逢った「日常」を、心が疲れた人に見てほしい理由を紹介します!
「日常」とは
あらゐけいいちさん原作のアニメ
あらゐけいいちさんの「日常」という漫画が原作で、2011年にアニメ化されました。
ストーリー性や目的などはあまりない、タイトル通りの「日常系」アニメで、短編集のように様々なコーナーが展開されていきます。
ただギャグマンガ日和のように毎回登場人物が変わったりするわけではなく、基本的には「時定(ときさだめ)市」内、さらに市内の「時定高校」での出来事を中心に展開されていきます。
主要な人物
時定高校の生徒:
みお(BL漫画を描く、カッパは『受け』とのこと)
まい(常にボケ、弥勒菩薩が好き)
ゆっこ(すごくおばか)
東雲研究所:
なの(1歳のロボット、体内に甘味を埋め込まれている)
はかせ(なのを作った幼児、かわいい)
阪本さん(猫)
意味不明でも分かりやすいお笑い
…とこれだけだと「高校生の日常系のアニメでしょ、そんなの飽和状態だよ」と思ってしまうんですが…。
登場人物のセリフや行動が、結構ぶっ飛んでる部分が多いんですよ。
第一話だけでも、いきなり背中にネジの付いた女の子が出てきたり、頭にシャケが降ってきたり、先生が弥勒菩薩をプレゼントされたり、何の脈絡もなく髪にイカのゲソがついてたり…。
全体的な雰囲気がシュールで、「え、なに?どういうこと?」という笑いが好きな人には結構ハマる作品です。
それでいて、いつもボケのゆっこが鋭いツッコミをかましたり、唯一といってもいい常識人的存在の阪本さん(猫)がいたりと、観ている人を置いていくこともなく、世界観のわりに分かりやすいです。
あ、たまに視聴者を置いて突っ走っていくこともあります。
ギャグマンガ日和や、鷹の爪団、荒川アンダーザブリッジなど、世界観が意味不明でセリフが面白い作品が好きな人におススメです。
高校が舞台ながらギラギラした「青春」感が少ない
主に高校が舞台になった作品ですが、世界観が本当にシュールなんですよ。
輝かしい「高校生の青春!」を見せられるわけではないという点が、心が疲れているときにはかえって癒しを感じます。
疲れていて何もかもネガティブになっているときに青春系の作品を観てしまうと、「自分の学生時代はこんなにキラキラしてなかったなあ」というもの悲しさに襲われることはないでしょうか…?
「日常」はそんな劣等感を感じることもなく、とにかく観ていて「楽しい」が先行する作品です。
とはいえ少し恋愛要素もあり(特に後半になるにつれ増えてくる)、キュンとする部分もあります。
でもここもやはり、恋愛至上主義的な青春を見せられるわけでもなく、少女漫画がニガテな私でも恋愛要素を楽しみにしてしまうくらい惹かれる表現でした。
片思いの相手にバズーカをぶっぱなしたり…。
あくまで「日常」の中での恋愛はひとつの日常的要素でしかなく、それはお菓子を食べるとか、本を読むとか、そんなノリで出てくる要素です。
なので、よっぽど恋愛というものに嫌悪感を持っている人でない限り、アレルギー反応は出ないかと…(笑)
ハイテンポなギャグが心地いい
心が疲れてるときって、何かに焦ったりしていることも多いです。
そんな心に余裕のとき、テンポの悪いアニメを観るとちょっとイラっとしちゃいますよね。
「日常」は、日常系とは言えど、無意味に間延びしたわちゃわちゃを見せられるわけでもなく、テンポがいいのがまた魅力です。
「フフっと笑えるあるある系ギャグ」と、「いや、それはありえねーよ!」とツッコみたくなる場面がハイテンポにくるくると展開されていくので、時間も忘れて夢中になって観てしまいます。
なんでこうなるのか考えても分からない意味不明感がまた、何も考えたくないときの心の癒しになっているなぁと実感しました…。
ちょうどいい温度の友情
アニメ自体のテンポはいいのですが、心に湯たんぽを抱いているようなホカホカした気分で観れます。
基本的に友情が軸(と意味不明気味なギャグ)になった作品ですが、「仲間!」「協力!」という熱苦しさではなく、「あ、この子に友達がいてよかったな」とほんのり心に沁みこむくらいの友情が癒しポイントです。
すごく「ちょうどいい温度」の友情を感じられます。
私のお気に入りは、なんの脈略もなくエレベーターに閉じ込められるエピソードです。
(第8話で出てきます)
その中で繰り広げられる会話の空気感が「女子の会話あるある」といった感じで、自分の高校時代を思い出しつつ大爆笑してしまいました。
まあそもそもなぜエレベーターに閉じ込められているのかは意味不明なのですが…。
「東雲家は、今日も平和であった…」
東雲家は、今日も平和であった…
というナレーションがときどき入ります。
そんなセリフが、肩の力が抜けてすごく好きなんですよね…。
そうか、平和ならいいか、頑張りすぎなくてもって思えるんです。
肩ひじ張って「働くぞ!稼ぐぞ!」って無駄に上を目指しすぎちゃうときもあるじゃないですか。
でもこの「今日も平和であった」というナレーションを自分の日常に置き換えてみると、
「あ、そうだな。
今日も怖い思いせず、
悲しい思いもせず、
好きなお菓子を食べて
平和に過ごせてハッピーじゃん。」
って思えて心がラクになるんです。
…単純すぎますか?(笑)
でも私のように単純な人は、きっとメンタルがやられても、東雲家ののほほんとしたストーリーを観た後にこのセリフを深くしみじみ味わうと、本当にラクになります。
「日常は何気ない奇跡の連続」
「ラクになれる」などと怪しい商売のようなセリフはさておき、日常の何気ない平和に気付けて、いつの間にか前向きになれるようなシーンが多いです。
実際に「日常は何気ない奇跡の連続」というようなセリフも登場します。
日常の奇跡や平和、幸せに気付ければ、不安や緊張で固くなった心が、少しづつやわらかくなっていく感じがします。
例えば、私は3年前に利き腕を骨折しました。
とても不便だった経験があるからこそ、「腕が自由に使えるって、自分はしあわせじゃないか!」と、心の底から思えます。
当たり前に思えることは、実は自分が恵まれているだけかもしれない。
明日には当たり前ではなくなるかもしれない。
…とはいえ「日常」はそんな重い話ではないですが(笑)、「日常の小さな平和」に気付くきっかけをくれる作品であることは間違いないです。
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