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【書評】間宮祥太朗「色」-絶妙に彩られた親近感と距離感

「色」をテーマに、間宮氏が連想するモノを列挙したり、そこからまた記憶を掘り出して話を広げていく随筆。

清少納言の「枕草子」のように、1つのテーマから彼の人柄や思考が見え隠れする一冊です。

彼だけの色彩

彼の文章を読んだときの感覚はまさに、絵の具に一滴の水を垂らした時のような感覚でした。滲んでいく「色」は、我々の名付けた色の名前を保ったまま、また時には違う名前の色が生まれたりしながら、その瞬間を彩る。

このエッセイは、間宮氏の「思考」という水を、指定された「色」に垂らして、自身の記憶とリンクさせた独特の色彩が表現されたものです。

色は人間のほぼ共通認識としてあるけれど、彼がその思考を以って自由に広げた色彩は彼だけのもの。もっと言えば、その文章を書いた瞬間の彼だけのものなのです。今日また水を垂らせば、違った色彩が生まれるに違いない。そんなことを感じさせられました。

「色」に対する認識

色というものに関する彼の認識も私は好き。もっと厚かましい言い方をすれば、私も同じ認識を常に持っている、と言ってしまいたいです。

世界は当然として色に溢れている。私達も当然であるかの如くそれを視認し、名前を付けている。それには相応の年月と先人達の発見や研究があったんだろう。

間宮祥太朗「色」より

人間の名付けた色というのは、人間だけの共通認識に過ぎず、絶対的なものではありません。バラという花が、私達の認識するあの真っ赤な「バラ色」である認識は、人間だけのもの。同じものを見ていても、目のつくりが違えば違う色に見えていることでしょう。もしかしたら、私が赤だと認識している色は、あなたにとっての青かもしれませんよ。

さらに同じ人間間でだって、認識の違いがあります。有名なのは虹が何色かという話。地域や国によっては、虹は「7色」ではないのです。日本だって、緑色が青色と切り離されて認識されるようになったのはつい最近の話なのですから。

同じものを見ていても、感じることや想起するものはまさに十人十色。1億人いれば1億通りの感覚が生まれるのです。そんな当たり前だけどいつも意識なんかしないようなことを思い出させてくれて、「ダイバーシティ」なんて言葉では表しきれないカラフルな世界を教えてもらった気持ちになりました。

間宮氏は色そのものにも、色に名前をつけた名も知らぬ先人に対しても、謙虚な姿勢を終始貫いていて、広くて深い世界を見ている人なのだと思わずにはいられませんでした。

程よい距離感と親近感

間宮氏がそれぞれの色に対して語る思考は、時として私と同じだったり、私に驚きや発見を与えるものだったり、私のまったく知らないものだったりします。特別突飛で常識はずれな認識でもなければ、誰かの共感を誘うような言葉選びでもありません。

押し付けがましくもなく、媚びもせず、かといって突き放すように排他的というわけでもない。

彼自身のことを語っているようで、彼のコアのような部分は見せてくれない。

シンプルな連想ゲームに見えて、そこには確かに彼独自の思考回路が見える。

読み手との心地よい距離感で淡々と語られる言葉たちは、かえって親近感を覚えることもありました。

写真たちに現実に戻される

そんな文章と文章の間には、そのテーマに沿った色をまとった彼の写真が挟まれています。その写真を見るたび、現実に引き戻されるような感覚になりました。「メタ的な見方をしてしまう」、という言い方がこの感覚には近いかもしれません。

きれいな歯。

きれいな肌。

長いまつ毛。

引き締まった身体。

わざとらしくない表情。

どの色も着こなす美しさ。

彼自身の美を当たり前のようにカメラに向けて表現できる彼は、紛れもなく私とは違う「芸能人」だということを思い知らされました。

写真がなければ、うっかり私は彼を知った気になってしまっていた気がしてならないのです。圧倒的な視線と顔つき、しなやかで自然なポージングが、私を突き放してくれる。文章に感じた親近感を、綺麗に畳んで隅に置いてくれるような感覚でした。

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