蜷川監督の実写映画『ホリック xxxHOLiC』の主題歌である、セカオワことSEKAI NO OWARIの『Habit』。
明快かつ軽快な歌詞は口ずさむのも楽しい楽曲です。
しかし、きちんと意味を紐解いていくとこの曲の流行自体もはや皮肉なのでは…とさえ思えてきます。
今回は抽象的なフレーズを具体例に落とし込み、さらに心理学や生物学の知識を駆使して、より「分かった気になれる」ような考察をしていきます!
分類はヒトの本能
君たちったら何でもかんでも
分類、区別、ジャンル分けしたがる
ヒトはなぜか分類したがる習性があるとかないとか
作詞:Fukase
ヒトがカタカナなのは、動物の一種としてのヒトだから。
まあこうやって「ヒト科ヒト属ヒト」と分類している時点でもう皮肉なんですが。
ヒトが分類したがるのは、心理学や人文学的には「安心したい」という本能ゆえです。
自分が何者か分からないよりは、「大卒で」「彼氏がいて」「〇〇会社に勤める」「OL」という「何者か」があるほうが安心できるんです。
さらに言えば「この曲〇〇っぽい」というのも一種の分類ですね。
「知らない」は恐怖なので、自分の知識に照らし合わせてカテゴライズできると、安心するんです。
俺か、俺以外か
この世の中2種類の人間がいるとか言う君たちが標的
持ってるヤツとモテないやつとか
ちゃんとやるヤツとヤッてないヤツとか
陰キャ陽キャ?
君らは分類しないとどうにも落ち着かない
作詞:Fukase
ローランド氏の「俺か、俺以外か」という有名なフレーズもあるように、やたらと「シンプル」に分類したがります。
ちょっと前だと「SかMか」というのが定番の話題でしたね。
「陰キャ陽キャ」がその最たる例で、自分が陽キャ=勝ち組であることを認識して安心し、他人を陰キャ=負け組だとカテゴライズして見下して、さらに勝ちを味わいたいんですよね。
逆に陰キャも、自分が陰キャというカテゴリーに属することで、一種の「キャラ」「個性」を得たようで嬉しい側面もあるのでしょう。
本能の外側とは?
気付かない本能の外側を
覗いていかない? 気分が乗らない?
つまり それは そんな シンプルじゃない
もっと 曖昧で 繊細で 不明瞭なナニカ
作詞:Fukase
アイ…(ナニカ)
分類したがるのは人間の本能だと説明しました。
その本能の外側、つまり一種の動物として持ち合わせている無思考の殻を破ってみようという事だと思います。
本能にだけ従っているのは、結局は無思考なんですよね。
すでにある言葉で分類できるとカンタンに安心できます。
でもそうやってカンタンな方に流されて、自分を型にはめて諦めるのは辞めないか?というFukaseさんからの提案です。
痛い痛い青春
例えば持ってるのに出せないヤツ
やってるのにイケないヤツ
持ってるのに悟ったふりして
スカしてるうちに不安になっちゃったりするヤツ
作詞:Fukase
大人だから分かる。これは痛いやつ。
「持ってる」というのは、才能とか運とかでしょう。
たとえば体育祭なんかもそうですよね。
本当は運動が好きなのに「体育祭とかダルいわw」とかいってサボるヤツ。
で、3年生になって最後の体育祭で「青春っぽい思い出ないじゃん!」って焦るんです。
ヤってるのにイケないヤツは許してあげて…
まぁでも、さっきの歌詞で「モテるモテない」「ヤれるヤれない」に分類してましたが、結局早めに初体験を済ました人だって、イケてないかもしれないんですよ。
童〇が負け組みたいな風潮があるけど、結局ヤリ〇ンにも負け組がいたりして、せっかく勝ち組になれてもまたそのなかで分類したくなってしまう。
分類して一喜一憂してたらキリがないんですよね。
ギフテッドとは
所詮アンタはギフテッド
アタシは普通の主婦ですと
作詞:Fukase
アンタとは、リスナーからみたFukaseさんのことでしょう。
ギフテッドは、主に発達障害などを持った方の事を指すのですが、「障害」と「才能」が表裏一体になっていることから「Gifted=与えられたもの」という呼び方をすることがあります。
そしてFukaseさんはADHDという発達障害を持っています。
もちろん「障害」なので生活にたくさんの困難があるとは思うのですが、自分を「普通」の「主婦」と分類している人にとっては、特別な分類を持っていることが羨ましく映るようです。
最近ちょっと発達障害を自称するのが流行りましたよね。
それも、自分を(たとえ病気や障害でも)何か特別なものに分類して安心したいという気持ちや、自分の劣っている点を「障害」という分類に入れることで「しょーがねーだろ障害なんだから」という免罪符が得られるという気持ちがあった人も多いんだろうなーと考察しています。
不可能の証明とは
それは良いでしょう? 素晴らしいでしょう?
不可能の証明の完成なんじゃない?
作詞:Fukase
障害を持っていて人生の困難を味わった人からしたら「普通」ってそりゃ羨ましいですよね。
自分が人生でぶつかってきた困難がない状態で生活できるんですから。
でもそんな「普通」の人が「Fukaseはギフテッドだから売れたんだ。自分は普通だから何やっても無駄」と思っていたら、もうそれは諦めるしかないですよね。
だって行動しなけりゃ、夢なんて叶うわけないんだから。
はい、証明が難しいとされている「不可能」がこんなにも簡単に証明されてしまいました。
分類する本能に囚われない
夢を持てなんて言ってない
そんな無責任になりはしない
ただその習性に喰われないで
そんなHabit捨てる度 見えてくる君の価値
作詞:Fukase
夢を持ったって叶うとは限らない。
夢を持って音楽業界に飛び込んだものの叶わなかった人を何人も見てきたであろうFukaseさんだからこそ、無責任に夢を持つよう諭したりしません。
でも、夢という大きなものを持たないまでも、「習性に喰われる=流されて生きている」のは違うと感じているようです。
動物の本能
俺たちだって動物
こーゆーのって好物
ここまで言われたらどう?
普通 腹の底からこうふつふつと
俺たちだって動物
故に持ち得るOriginalな習性
自分で自分を分類するなよ
壊して見せろよ そのBad Habit
作詞:Fukase
繰り返しになりますが、本能で行動するのは動物の習性であり、分類はヒトの本能。
でも皮肉なことにヒトは、自分のことを動物とは切り離された特別な存在に「分類する」節があります。
動物って言われたら腹の底から怒りが湧いてくるだろ?
ヒトを動物よりも崇高な生き物だと分類するなら、自分のことを分かりやすい言葉で分類するのをやめろよ。
そういったメッセージです。
これもう分かんねぇな
説教は快楽
大人の俺が言っちゃいけない事言っちゃうけど
説教するってぶっちゃけ快楽
酒の肴にすりゃもう傑作
作詞:Fukase
みんな!集まって!TikTokで流行ってるとこだよ!
ヒトは、他人を論破したり教えを垂れているとき、脳内の快楽物質がドバドバ出ています。
YoutubeやYahooニュースのコメント欄とかがいい例です。
ツイフェミさんの「怒りで震える」というセリフも、論破するのが本能的に快楽で、それを「女性の地位向上」というもっともらしい理由で装飾している場合が多いです。
※フェミニストを否定する意志はありません。問題はツイフェミ、お前だ。
ていうかこの曲でみんなと同じような踊りを投稿するって、そういう皮肉なんですかね?
なにが「残念」なの?
でもって君も進むキッカケになりゃ
そりゃそれでWin-Winじゃん?
こりゃこれで残念じゃん
そもそもそれって君次第だし
その後なんか俺興味ないわけ
作詞:Fukase
大人の説教はオ〇ニーだとはよく言われますが、そのオナ〇ーを見聞きする側にも学べることはあるため、Win-Winだと言いたいようです。
…処世術とか?知らんけど。
で、まぁ何を学び取るかは聞いてる「君」次第なので、大人は責任を取りません。
そんな無責任なありがた〜いアドバイスを真に受けて失敗しても、もちろん大人は責任を取りません。
つまり、「進むきっかけ」になったらなったで「残念」になることもあるのです。
…なんかインフルエンサーとかもそうですよね?
「まだ東京で消耗してるの?」とか「フリーランスはいいゾ~」とか言ってる大人は、君が東京を離れて起業して失敗しても、責任は取ってくれないんですよ。
だってその言葉は君のためではなく、インフルエンサー自身の〇ナニーなのだから。
ヒトに問われるという皮肉
この先君はどうしたい?
ってヒトに問われる事自体
終わりじゃないと信じたいけど
そーじゃなきゃかなり非常事態
作詞:Fukase
分類大好きなヒト科ヒト属ヒトに、「お前はどうしたいの?」と抽象的な質問をされるという皮肉。
いや、お前ヒトだろ!してよ!お得意の分類しなさいよ!
現代は生き方の多様化だの言われていて、「どう分類されるか」ではなく「いかに自分らしく生きるか」という時代です。
時代ですというか、「正解」「勝ち組」という生き方がないんですよね。
一昔前は、女性なら「20代前半で結婚してれば勝ち」「そのなかでも高級マンションに住めれば勝ち」「都内の億ションに住んで専業主婦になれば勝ち」みたいな分かりやすく自分を評価できる「分類」があったんです。
でも今って、結婚するかしないかも自分で決めるしかないじゃないですか。
だからこそ、「結婚しなきゃ負け組」「〇〇住みは負け組」という「Bad habit=悪しき風習」に囚われてたら不幸まっしぐらです。
例えが長くなりましたが、まぁ分類大好きな「ヒト」に、皮肉にも「どうしたい?」という分類のできない問いを投げかけられますよね。
そんな状況を「終わってる」とは言いたくないし、終わってるとしたら非常事態…という意味になる文章ですが、ちょっとここは何言ってるか分からないですごめんなさい。
人間は完璧じゃないので考察できない部分もあるし、Fukaseさんの日本語が間違っている場合もあります。
「ダメ考察者」と分類するのは、やめようね!
Fukaseさんのイージーモード
君たちがその分類された
普通の箱で燻ってるからさ
俺は人生イージーモード
ずっとそこで眠っててアラサー
俺はそもそもスペックが低い
だから足掻いて足宛いて醜く吠えた
俺のあの頃を分類したら
誰の目から見ても明らか
作詞:Fukase
先ほども紹介した通り、Fukaseさんは発達障害を持っていて、「普通」の人よりも困難なことも多かったと予想できます。
でも「普通」の人が「自分は何も持っていない普通だ」と自ら箱に閉じこもっているからこそ、本来ハードモードであるはずのFukaseさんが相対的にイージーモードで「何者か」になれちゃったと。
逆にいえば、「普通」というラベリングを自ら課すことなく、自分にできることをやってる人は、障害がある自分よりもっとイージーなはずだというFukaseさんからの励ましにも思えます。
すぐ世の中、金だとか、愛だとか、運だとか、縁だとか
なぜ2文字で片付けちゃうの
作詞:Fukase
これも理由は簡単で、安心できるからでしょう。
「世の中金だ」「顔が良いやつがモテる」「縁・運がなかった」と思い込むことで、自分が成功しない言い訳にしてるんです。
さっきの主婦と同じですね。
世の中を簡単な言葉で分類して、「そうじゃないから自分は成功しなくても仕方がない」という、言い訳があると安心するんです。
俺たちはもっと曖昧で
複雑で不明瞭なナニカ
悟ったふりして驕るなよ
君に君を分類する能力なんてない
作詞:Fukase
結局分類する人って「分かった気になってる」人なんですよね。
分かった気になって、自分に言い訳をたくさん作ってハードルを下げてる。
心理学的に言うと「セルフハンディキャッピング」ってやつです。
最後には「君に能力はない」という突き放した言い方をしていますが、このフレーズには温かさも感じます。
君は君を簡単な言葉で分類してハードルを下げなきゃいけないほど、何もない人間じゃないよ。
きっとFukaseさんからのこういったメッセージなんです。
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