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【歌詞考察】BUMP の「ひとりごと」の歌詞から本質的なやさしさについて、考える

常々、「優しさ」ってなんだろうと考えることがありまして、そんななかでBUMPのある曲の歌詞を思い浮かべました。

「優しさ」という言葉を聞いてBUMPファンが思い浮かべる曲といえば、もうお分かりですね?

ひ、と、り、ご、と

「ひとりごと」の歌詞から読み解く「優しさ」について考えてみます。

作詞はボーカルの藤原基央さんです。

優しさの考察

優しさはエゴなのか

ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ
きっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよ

作詞:藤原基央

冒頭から「僕少し解ってきたよ」ときました。

きっと「僕」も、曲に収められていない過去から、優しくなりたい、優しさってなんだろうと、考えていたんでしょうね。

優しさは「君に渡そうとしたら粉々になる」。

自分では「優しさ」だと思っても、本質的には自分のエゴだし、自分が気持ちよくなりたくてそうしているから、優しさではないということでしょう。

優しさとは?のループ

ねぇ 優しさってなんだと思う さっきより解ってきたよ

きっとさ 君の知らないうちに 君から貰ったよ 覚えはないでしょう

皆 良く思われたいだけ 自分自身を売り込むだけ
優しくなんかない そうなりたい 僕が一番ひどい

作詞:藤原基央

心の「中」には、僕が嬉しくなりたい君に喜んで貰いたいと思う僕しかいない。

「優しさ」と呼ばれるものを渡して期待通りの反応を貰いたい僕しかいない。

それに反して、君がしてくれたことは押し付けがましくなく、でも僕は嬉しい気持ちになれた

意図的ではないはずなのに。

それが優しさなのでしょうか。

私も幼い時、この「優しさとは?」ループにハマったことが幾度となくあります。

例えば、おばあさんに席を譲ったとしましょう。

おばあさんは「年寄り扱いするな!」と激怒。

私がしたことは優しさでしょうか。

…難しいですよね。優しさ。

そんな「考え過ぎ」で「頭ヘンになったかも」状態の後、私はこの曲に出逢って藤くんも同じようなこと考えてたんだなあと思えました。

いやいや至ってまともだよ

優しさについておかしくなりそうなくらい考えることを、「まとも」だと言ってくれました。

優しくなりたい、とか、人を傷つけたくない、と常々考えている人って意外と多くないなぁと大人になって思います。

人を気遣うのが「まとも」「普通」「当たり前」になってくれればなぁと思っています…。

「ひとりごと」の意味

ねぇ 優しさって知ってるんだ 渡せないのに貰えたんだ
きっとさ 人と人との 心の外の中だけに 在るんだ
ひとりごと

作詞:藤原基央

タイトルの「ひとりごと」というのは、「僕」がしたいからすることで、与えようとして与えたのではなく、結果的に笑ってもらえた

ある意味独りよがりで、一方的にひとりですることだから「ひとりごと」

ということなんじゃないかな、と思います。

タイトルからして深いですね。

優しさは、エゴなのか

「行為」に名付けられた「優しさ」

一人では無理な事だから 誰かとの間に在るから
どちらのものでもない 名前のない それだけに出会いたい

ねぇ 優しさってなんだと思う もう考えなくたっていいや
本当さ 僕ら知らないうちに 僕らで作ったよ

二人で出会ったよ

作詞:藤原基央

完全に私見ですが、エゴと解ってて渡す優しさって、本当の優しさなんじゃないですかね

「あなたのために言ってる」

「思いやってあげたのになんだその反応は」

これは優しさではなく紛れもなくエゴですよね

見返りが欲しくて、気持ちよくなりたくて渡すエゴです。

さっきのおばあさんに席を譲る話でいえば、私がおばあさんに感謝されることを期待していたらそれはエゴですね。

おばあさんが電車で立っているのが苦しそうだったから席を譲った。

怒られたけど苦しくないならよかった。

これは優しさと言えそうです。

でも、世間的に、「おばあさんに席を譲る」という「行為」に対して「優しさ」という名称が定義づけられています

どちらのものでもない

名前のない それだけに出会いたい

作詞:藤原基央

名前のない「行為」

視点を変えて。

私は祖母と電車で出かけました。

一つ空いた席に、祖母は私に座るよう促し、私は祖母の鞄も預かって座りました。

これは「おばあちゃんに席を譲らない」私は優しくないということになるのでしょうか。

側から見れば「優しくない」と見られるでしょう。

でも、私と祖母の間には、祖母の優しさを受けて嬉しい私と、孫に楽をさせてあげて満足げなおばあちゃんが居ます。

私だって、祖母の「してあげる」満足を与えたくて敢えて(世間的に)優しくない行為をしているとも取れます。

これは

一人では無理な事だから 誰かとの間に在るから
どちらのものでもない 名前のない 

作詞:藤原基央

優しさに出会ったということになるでしょう。

社会通念的な「優しさ」ではなく、「僕と君」の間の「名前のない」行為。これがこの曲の中で語られる言わば「優しさ」ということではないでしょうか。

優しくなんかない なれやしない なりたいと思わない

僕が笑いたくて 君を笑わせてるだけ /

人に良く思われたいだけ 

というような一切の見返りを求めない行為が「優しさ」と定義されるなら、僕は優しくなくていい

僕は、君によく思われたいからこうする

優しさとはちがう、名前のない気持ち

僕ら知らないうちに 僕らで作ったよ

二人で出会ったよ

作詞:藤原基央

「優しさ」という世間的に定義されたことを頭ヘンになるまで考えなくても、人と人との関わりの中で生まれる名前のない温かい気持ちがあればいい。

人との関わりの中で「喜んでもらいたい」と思って相手のためにする名前のない「ひとりごと」をしたい。

…結論はこんなとこでしょうか。

優しくなりたい

優しさってなんだろう

こんなことをよく考えていますが、

自分の優しさがエゴに思えてしまうなら、

「優しさ」を目指さずにエゴでもいいから

相手との関わりの中で生まれるモノが大事

なんですね。

…と、「透明飛行船」を想起させる結論がでてきました。

  分かち合えやしない他人事

  優しさの真似事もエゴでも

  出会えたら無くさないように

作詞:藤原基央

優しくなれなくていい。

この曲が教えてくれたのは突き放すような意味でのそれではなく、むしろもっと優しくなれちゃうようなふわっと開放的な気持ちでした。

まぁ、私は自己中なので、優しくしてもらいたいし、そのために優しくなりたいですけどね。

動機や方法はなんであれ、穏やかで温かい関わり合いをしていきたいです。

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