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ピノキオピー「神っぽいな」歌詞の意味本当に理解できた?

めっちゃ今さらですが、あまり納得できる考察がなかったので自分で書いてみました。

まずは『神っぽい』の意味を徹底考察!

タイトルと歌詞に登場する『神っぽい』という単語。

その「神」とは何を指すのか考察していきます。

感想としての「神」

いい曲を「神曲」と表現することをいい例に、何かを称賛するとき「神」で片付けたりしますよね。

でもクリエイター(※)からしたら、何時間もかけて作った作品を、「神」という、感想とも言えないような一言で片付けられるってどうなんでしょう。

※音楽やアニメ、動画など様々なコンテンツをつくる人のことを、この記事では便宜上クリエイターと呼称します。

「ここの言葉選びが秀逸!」
「サビの盛り上がりに欠ける」
などと自分の言葉で批評を述べず、多くの人が使うワード(今なら「神」とか「草」とか「チー牛っぽい」とか)で片付けるリスナーへの皮肉だと考察しました。

唯一神としての「神」

MVに登場するイラストが(ちょっとぶっ飛んだ)シスターだったり、「Gott ist tot」というキリスト教信者を皮肉ったニーチェの言葉が出てきたりといった点から、「神」はキリスト教の神、つまり唯一神であるとも読み取れます。

本来なら唯一無二の作品を作るクリエイターに向けた言葉であった「神」というワードは、今や「一定のレベルを超えている」程度で使われてしまっている、ということへの皮肉でしょう。

 

2つの意味で「紙」っぽい

さらにさらに、「神」ではなく「紙」であるとも考察しました。それも2つの意味で。

1)紙=紙幣=お金

2)紙=薄っぺらい

クリーピーナッツの歌にお金に執着する人を皮肉った『紙様』という曲があり、そこでいう「紙」もお金のことです。

さらにポケモンのオンライン対戦では耐久力がペラペラなポケモンのことを「紙」や「紙耐久」と読んだりします。

そういった「紙」の意味も含まれていると仮定すると、『神っぽいな それ』というフレーズには以下のような解釈もできます。

「紙=お金」の匂いがする=大衆受けと収益化目的な感じがする

現代人の感想や行動が「紙=薄っぺらくて浅い」

『神っぽいな』は現代人への皮肉だと語られてます。

しかし、現代人に向けたというよりも、もっと具体的には
「クリエイター気取りの大衆」と
「コンテンツの消費者」へ向けた皮肉だと思います。

ピノキオピーさんは作詞や作曲、イラスト制作まで行っています。

そんなプロのクリエイターさんからしたら、現代のクリエイター、もっと言えばインフルエンサーや動画投稿者なんかは薄っぺらく見えてもおかしくありません。

大衆化してしまったボカロPへの皮肉も…?

ニーチェを知らないのに

「『Gott ist tot=神は死んだ』はニーチェの言葉らしいです!

確かに神様は死んだのかもしれませんね!」

…みたいな『考察』をしてる人、なるほど、こういう人が『神っぽい』んですね。(やめなさい)

別にニーチェは神を否定したかったわけではなく、むしろ逆。

大事な神様が、キリスト教信者によって弱者に都合のいい存在にされちゃったことを嘆いているんです。

富増章成さんの解説本を読みまくって得た理解ですので、直訳書を読んだわけではないです。あしからず。)

つまり『神っぽいな』の歌詞における「神は死んだ」は、「神」の否定ではなく「神の信者」つまりリスナーやファンを否定しているのだと私は理解しました。


この本は何度も読みましたし、ニーチェのひねくれた魅力をめちゃくちゃ分かりやすく表現してくださってるので、おすすめです!

「神っぽいな」の世界観をより理解したい方も、ぜひ!

ではここからやっと歌詞についての考察をしていきます。

『意味深』とかいう感想

愛のネタバレ「別れ」っぽいな

人生のネタバレ「死ぬ」っぽいな

作詞:ピノキオピー

最初とと最後に出てくるフレーズです。

カップルは結局別れる(死別も含め)し、人はいつか死ぬ。

こういう斜に構えた冷静さを、それっぽい意味深な単語を並べて「クリエイター」が発信する。

それをリスナーは「意味深」「かっこいい」と称賛してくれる。

そんな構図です。

でもこれらって、割と当たり前のことですよね?

頭を使って生きている人なら到達し得る考え方を、対して頭も使わずに「共感」する。

そんな最近の音楽シーンにメスを入れたような冒頭です。

すべて理解して患った

無邪気に踊っていたかった 人生

作詞:ピノキオピー

最後は少し意味が違ってきます。

先程の「斜に構えた冷静さ」を持ってしまうと、意味深でかっこいい感じの歌詞で踊れなくなります。

考えちゃうから。疑問を持っちゃうから。

批判するつもりはないですが、よく例に挙げられるのは西野カナさんの歌詞。

ありきたりで誰もが共感し得る歌詞は、普段思考の言語化をしないリスナーに対しては「深い!」「なんで私の気持ちが分かるの!」という感想を抱かせるものです。

※「そういう歌詞が悪い」とかではなく、彼女の歌詞はそれがウリであり強みだったと私は認識しています

要するに、「カップルは結局別れるし、人はいつか死ぬ。」のような冷静な事実に到達してしまった(=全部理解して患った)からこそ、深くもない作品で踊れる(というか踊らされてる)ノリがなくなってしまったな〜ということではないでしょうか。

結局は意味深でかっこいい歌詞なんて理解できない(しようとしない)人が大半。

だったら多数派として深いことも考えずに踊らされていたかったということだと解釈しました。

私も考察しちゃうタチなのでこれは分かる。

「〜風」な作品が溢れてる

作品への皮肉

とぅ とぅる とぅ とぅ とぅる ”風”

ぽいじゃん ぽいじゃん

作詞:ピノキオピー

世の中、「〜風」な、「〜っぽい」作品が溢れています。

まぁもちろん過去の作品の影響を受けてあらゆる作品は制作されてますし、オマージュという手法もあります。

なんでもパクリパクリと言っていたらロックバンドはビートルズの、漫画は手塚治虫のパクリです。

ただ、今の「〜風」な作品はもはや「影響」や「オマージュ」で収まらないものが多いですよね。

昔リリースされた曲がTikTokで流行すると、原曲へのリスペクトも知識もなく「踊る」人が多かったり。

あろうことか「TikTokの曲」「〇〇ちゃん(TikToker)の曲」と認知する人も多いとか。

あとは、まぁ〜歌詞考察サイトで言えることじゃないですけど、最近似たようなコード進行とか音作りとか多いですよね…

タイトルも、一見遠そうな単語2つを並べたものが多いような…

そして大抵エモいイラストにエモいリリックを並べたMV。

…えぇ、おそらく『神っぽいな』のMVもそれを意識していると考えられます。

リスナーへの皮肉

と、同時に、「〜ぽい」と言い捨ててしまう受け身なリスナーへの皮肉にも感じられました。

平たく言えば「でもお前ら批評するだけで何も作ってないじゃん」みたいな。

ただこれには私、持論がありまして。

人は記憶を整理するとき、似た者同士を近くにカテゴライズするんです。

だから「〜に似てる」という感想は至極真っ当なものなんですよ。

ただ、まぁ、一生懸命作った作品に対して、ちょろっと聞いただけで言えるような感想で片付けられるのはいい気がしないことは想像に難くないです。

クリエイター気取りの大衆へ

何が『もういいぜ』なのか

もういいぜ もういいぜ それ  もういいぜ もういいぜ 

逆に興奮してきたなあ

作詞:ピノキオピー

ここからはしばらく「クリエイター気取りの大衆」への皮肉が語られます。

何がもういいのかといえば、何度も何度も擦られるネタについてでしょう。

まだクリエイター側の人が少なかった10~15年前は、流行の曲に対して一部の踊り手さんが「踊ってみた」動画を投稿していました。

それが今や、流行の曲に対して1日にいくつもの「踊ってみた」(…とも言えないレベルのものも多い)動画が投稿されています。

皮肉なことに、この『神っぽいな』も『〇〇っぽいな』と称していろんなオマージュ動画が投稿されているんですけどね…。

何が『おっきい』?

おっきいね おっきいね 夢

おっきいね おっきいね

作詞:ピノキオピー

何が大きいのかと言えば、夢。

もっと言うと、クリエイターやインフルエンサーになることで得られる富、名声、力です。

そんな大秘宝を、昨日まで普通の高校生やサラリーマンだった人でも、動画制作や音声配信で手に入れられてしまう時代。

まさに『景気』がいいですよね。

ウェェイwww

景気いいけど 品性はTHE END

うええい うええい

作詞:ピノキオピー

ただ、『品性』は『THE END』、つまり終わってる人も多い。

お金欲しさにPRであることを隠して商品紹介するインフルエンサー。

他人への迷惑を考えずに動画映えだけを求めるTikToker。

『うええい』は、いわゆる「ウェイ系」をおちょくっているとも捉えられます。

が、個人的には本来は大した技術や実力のないクリエイターがたまたまバズり、知名度だけが上がって幅を利かせていることへの皮肉でもあるのではないかな〜と思っています。

「品性は金で買えない」ってどっかのハンターも言ってましたね。

IQが下がるってどんな感じ?

神っぽいな それ 卑怯 神っぽいな それ ”My God” 

アイウォンチュー ウォンチュー IQが下がっていく感じ

作詞:ピノキオピー

アイウォンチューとかニージューとか、本当に意味わかってるのか…?と思ってしまう曲も多いです。

IQが下がるというのは、2つの側面があるのではないでしょうか。

まずは、「受け手のIQ」

人間はラクをしたい生き物ですから、頭を使わずに消費できるコンテンツを求めます

歌詞だって、文章としてキレイで理解しやすいものが多いですよね。

考察する身としても、流行りの曲を聞いて「あぁ、考察の余地がないなぁ」と感じることも多くなりました。

そんな曲のMVにさえ、「深い歌詞!」とか「〜〜という考察を見てなるほど!と思いました!」みたいなコメントがあって、な、なるほど〜…と思うこともしばしば…。

(まるで『神っぽいな』のyoutube動画のコメント欄のようだね、と言ったら怒られますかね)

次に、「発信側のIQ」

写真家の友人が言うには、「写真家」として評価される芸術的な写真よりも、分かりやすく感動できる写真のほうがSNSでは評価されるようです。

結局発信側も見てくれる人が少なければやりがいもありません。

誰にでも理解できるコンテンツが世の中に溢れている現代は、それらと同じくらい分かりやすいものにしないと受け入れてもらえないから、どんどんIQが下がったようなコンテンツが増えてしまうのでしょう。 

鶏が先か卵が先か、みたいな話かもしれませんが。

『害虫』は何を指すのか

邪心ぽいな それ 畢竟 邪心ぽいな それ ”My God” 

アイヘイチュー ヘイチュー 害虫はどっち

作詞:ピノキオピー

『アイヘイチュー』はI hate you、つまり「お前なんか嫌いだ」。

まぁここはそのままの意味で、この前の『アイウォンチュー』とこの後の『害虫』との韻を踏む役目です。

『害虫』といえば、人の生活から排除されて然るべき虫のことを指しますよね。

ここでは、頭を使わせるコンテンツが「分かりづらい」と排除されることに対して、「いや排除されるべきは薄っぺらいコンテンツでは?」と反論しているのではないかと考察しました。

『憧れちゃう!』というクソデカ皮肉

神っぽいな それ 卑怯 

ぽいな ぽいな ぽい 憧れちゃう!

作詞:ピノキオピー

クリエイターの作品を「〜に似てる」と言い捨てるような受け手も、結局は憧れのインフルエンサーを真似し「誰かっぽい」感じになってます。

そしてインフルエンサーも、流行に乗ることで閲覧数を増やす。

個人主義だの個性の時代だの言われる現代でも、結局唯一無二のセンスというよりその時の流行に沿った同じようなものがウケるのです。

そんな「誰かっぽい」センスを発信するインフルエンサーへの皮肉が『憧れちゃう!』というフレーズなのだと考察しました。

むずかしいフレーズたち

メタ思考する本質は悪意? 人を小馬鹿にしたような作為

無為に生き延びるのは難しい 権力に飲まれて揺らぐ灯り

神を否定し神に成り代わり 玉座で豹変する小物達

批判に見せかけ自戒の祈り Do you know? 

作詞:ピノキオピー

むずかしいフレーズだぁ〜

頭使っちゃうね〜

…私もYouTubeとニコ動ばっか見て、下がったIQで一生懸命考察しましたよ。

メタってなに〜?

メタ思考はめちゃくちゃ簡単にすると「客観視」です。

でもここでは、アニメやゲームの感想に用いられるような「メタ発言」「メタい視点」の方が近いんじゃないかなーと思います。

「何言ってんのそれ」って人はこの知恵袋の回答が分かりやすいです。

例えば歌詞の感想として「ここの脚韻が秀逸」というのはメタじゃないです。

単なるその人が「思ったこと」なので、感想の範疇になります。

対して、歌詞についてのメタ発言は、例えば「この人結婚してからバラードばっかになったよね」など。

こういった作品そのものへの感想ではなく、その外側(作者のプライベートや、時代背景など)まで思考する背景には、悪意がある場合があります。

そもそもその曲自体の評価じゃないし。

先ほどの例えだと、好きなアーティストのファン層が変わってついていけなくなったことを、アーティスト側のせいにしたいのかもしれません。

あるいは、単に結婚への羨ましさとか。

どちらにせよ、曲そのものへの批評ではなく、わざわざメタ的な考察をする本質には悪意もあるのではないか?と指摘されている気がします。

すいませんでした。

作為ってなんのこと〜?

作為は簡単に言えば「手を加えること」

代表的なのがTikTokの動画。

流行の曲に合わせてうろ覚えのダンスを踊っている様は、その曲の作者からしたら「小馬鹿にしてる」と受け取られてもおかしくありません。

あとは古の文化であるMAD動画とかも、悪意あるなぁと感じるものもありますよね。

無為ってなに〜?

無為は簡単に言えば「ありのまま」。 

でもありのままの個性で生き残るのは難しいと。

「本当にいい曲が売れるべきだ!」と言う人もいますが(私もそう思います)、なんの戦略もなく売れている人なんて結局はいないんですよ。

よく聞く話は「事務所のゴリ押し」ってやつとか、最近だと「バズる曲」や「バズり方」を研究して発信しているアーティストもいます。

いや売ろうとしないと売れないのは分かるけど…って感じ。これが老害?

いい曲を発信すれば売れる!…と思いたいですが、売れるための戦略無しに売れるのは難しいのです。

一度売れただけで安泰だったら、一発屋なんて言葉もないですしね。

なんで権力に飲まれちゃうの〜?

では、生きのびるためにどうするか。

「権力」を迎合するしかないのです。

YouTuberなら大物先輩YouTuberに媚びるとか、歌い手やボカロPなら事務所に入るとかですね。

いわゆる「事務所」は売るためのノウハウもあれば、「売る」アーティストを決めてごり押しすることだってできるし、事務所に所属していない力のないアーティストを潰すこともできますから。

灯りが揺らぐってどういうこと〜?

平たく言えば
「メジャー行って変わっちゃったな」
「事務所入る方が好きだったな」
みたいなことでしょう。

権力を迎合した結果、その人らしさがなくなって、「〜〜っぽい」になっていく。

よくある話です。

豹変ってどういうこと〜?

ここで言う「神」は、みんなが称賛する薄っぺらい意味での「神」コンテンツのこと、つまり「一過性の流行」だと捉えました。

流行を否定して「もっと俺らしい曲を作ってやる!」と息巻いていた人も、バズって「玉座」に上がれば流行っぽい曲しか作らなくなる。

流行を否定して「私はリスナーのための動画を作る」と言っていた人も、登録者が増えて「玉座」に上がれば企業や事務所に都合のいい動画を作るようになる。

権力を享受する立場になって『豹変』してしまったYouTuber、アーティスト、配信者、などなどへの皮肉でしょう。

みなさんも各々一人は思い浮かぶのでは?

自戒の祈りってなによ〜?

ここのフレーズは特に解釈が分かれそうです。

『自戒』とは簡単に言えば「そうならないように気をつける」ことです。

自戒するということは、言い換えれば「一歩間違えたら自分もそうなってたかもしれない」と捉えられます。

たとえば有名人が不倫をすれば、鬼の首を取ったように批判する人っていますよね。

そういう人って、「有名で」「モテる」人が羨ましいのではないかと思うんですよ。

それって裏を返せば、自分が有名でモテてたら自分も不倫をするかもしれないってこと。

でもそうではないから、自戒も込めつつ嫉妬も込めつつ批判しているのではないかな〜と思っています。

選べなかった世界線の人間には不幸であってほしい。

人気者になりたいけどなれない自分を合理化するために批判をするパンピーへの皮肉のフレーズだと、私は考察しました。

「コンテンツの消費者」への皮肉

ここからは「コンテンツの消費者」への皮肉が中心になっていきます。

理解力が乏しいリスナー「なにいってんの?」


何言ってんの? それ ウザい 何言ってんの? それ

意味がよくわかんないし 眠っちゃうよ マジ 

作詞:ピノキオピー

さて、ちょっと前に「受け手のIQが下がる」ことに言及しましたが、ここはまさにそんな理解力に欠けたリスナーを皮肉に皮肉ったフレーズです。

私も音楽好きだし歌詞の考察が好きなのでよく嫌な思いをするんですが、わざわざ歌詞の考察を読みに来たあなたも、きっと言われたことあるんじゃないでしょうか?

「この歌詞に意味なんてないよw」

「何その曲?何言ってるか分かんないわ」

「考察したって、作者そんなに考えて作ってないでしょ」

いやお前らが『何言ってんの?』なんですが???

って言っていいです。私が許します。

結局理解力に欠けたリスナーが多数派だから、理解が難しい歌詞は『何言ってんのそれ』と『害虫』扱い、つまり排除されていってしまう現状を表現しているようです。

なにがきっしょいの?


きっしょいね きっしょいね それ きっしょいね きっしょいね

逆にファンになってきたじゃん

作詞:ピノキオピー

このあたりも考察が分かれますね。

私はコメント欄とか掲示板の「きっしょw」ってレスを指していると解釈しました。

「きっしょw」とか「〇〇乙」とか、中身のないレスはだいたい自分自身を守る防御の攻撃なんですよね。

自分と同世代や年下の天才を見ると、自分のつまらなさを実感しちゃうからどうしても貶したい気持ちとか、ね。

逆にとは?

ときどきいるじゃないですか。

あるクリエイターに対して「ファンよりも詳しくね?」ってくらい重箱の隅を突いてるアンチ。

才能を認めたくなくて「きっしょw」とか中身のないレスを全部のMVに残してる人とか、もはや「逆にファン」ってレベルです。

器が小さいのは誰のこと?

ちっちゃいね ちっちゃいね 器  ちっちゃいね ちっちゃいね

天才ゆえ孤独ですね かっけえ… かっけえ…

作詞:ピノキオピー

中身のない悪口とはいえ、小さい誹謗中傷を色んな人から受けたら、クリエイターもたまったもんじゃないですよね。

最近は誹謗中傷に対して法的措置を取るクリエイターも増えてきました。

そんなクリエイターに対してアンチは「それくらいでw」「ちっさw」なんて反応を示します。

が、アンチもアンチで心当たりがありまくるので、当該コメントを消したり、直接謝罪したりする人もいるそうです(笑)

小さいのはどっちなんですかねぇ…?

『かっけえ…』の『…』―私、気になります!

 

『天才ゆえ孤独』『かっけえ』っていうのは、アンチ側からクリエイターへの皮肉でしょう。

まあアンチは掲示版とかで「〇〇とかいう曲www」ってスレ立ててアンチ同士仲良く誹謗中傷してますもんね。

でも1番の『うええい』にはなかった『…』が気になります。

アンチくんたちも、皮肉とはいえど本当の本当はそのクリエイターのことを『かっけえ…』と思ってるんじゃないでしょうか。

認めたくないだけで。

素直になったほうが人生楽しいんですけどね。

『健康』ってなんのこと?

神っぽいな それ 卑怯 神っぽいな それ  ”My God”

超健康 健康 言い張って くたばっていく感じ

作詞:ピノキオピー

いやーここは『うっせえわ』への皮肉だという考察が多いですが、私はしっくりこないんですよね…

どっちかというと、『うっせえわ』を歌って「優踏生です!」「健康です!」って歌ってるくせに頭が悪い(慎め)ゆえに成績悪い人を指してるんじゃないかと。

そしてそういう人ほど感染対策もろくにせずウェェイwwwって騒ぎまくってると。

健康ってなんやねんと。

つまり、結局さっきから一貫して「理解力に欠けて歌詞の意味も理解せず歌ったり踊ったりできちゃう受け手」を皮肉ってるんだと私は感じました。

エピゴーネン?知りませんねぇ…

コトバンク先生の説明を借りれば「先人をパクってる人」ってとこでしょうか。

ヒールはふつうに「悪役、嫌われ役」だと思ったんですが、靴のヒールだと考察してる人が多いですね。

それで納得できたんでしょうか(煽るな)。

ここも一貫して「IQが下がった受け手」の皮肉としてのフレーズだと解釈できます。

「エピゴーネン=他人の言葉を借りてしか反論できないアンチ」「ヒール=世間の悪役」として誹謗中傷を社会問題化してくれちゃってる。

ひいては誹謗中傷しづらくなってしまっている現状をガッツリ皮肉してるのではないかと考察しました。

正直「あースッキリした!」という考察は書けませんでした。納得はしているけども。

受け手への皮肉なのか、クリエイターへの皮肉なのか、あるいはその前提が間違っているのかも明確には分からず。

まぁでも自分で考えて理解していく作業は楽しいですね。

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