先日配信スタートした『サントラ』の歌詞の考察です。
まだ歌詞カードがなく、歌詞が間違っている可能性もあります。
ご了承ください。新アルバム「かつて天才だった俺たちへ」発売までしばし待たれい。
2020年9月追記:アルバムが手に入ったので歌詞修正しました。
さて、オールナイトニッポンでCreepy Nutsと菅田将暉のコラボ曲を作ると言い出して早1年。
やっと我々の元に届きましたね。
ラッパーとDJと俳優。
3人は芸能人です。
そんな3人の芸能人としての苦悩とかなんとなく思っていることが歌になったものですね。
言うまでもなく、サントラはサウンドトラックの略で、映画やドラマのBGMを集めたものです。
作詞:R指定
1番
悩み事 隠し事 私事だらけを書く仕事
『サントラ』作詞:R-指定
悩み事 隠し事 のみこんで笑顔でやる仕事
目の前の白紙ごと 塗りつぶす想いを吐く仕事
泣く仕事笑う仕事 自分じゃない誰かになる仕事
冒頭では「隠し事」のAUIOOでガンガン韻を踏み倒していきます。
聴いていて気持ちがいいですね。
「~書く仕事」と「~吐く仕事」はラッパー、
「~やる仕事」「~なる仕事」は俳優の仕事でしょう。
Creepy Nutsの曲を聴いても分かりますが、アーティスト、特にラッパーは「私事」を作品にしています。
対して俳優は、自分の気持ちや悩みは置いといて演技をして作品を作っています。
この冒頭では、自分を作品にするラッパーと自分ではない誰かを演じる俳優の仕事が対照的に描かれています。
かぶき者 お尋ね者 にならずに何故かもがく仕事
あらぬ事よからぬ事かきたてられ心底病む仕事
『サントラ』作詞:R-指定
かぶき者は「歌舞伎者」や「傾奇者」と表記します。
日本史などで出てきますが、戦国時代の常識にとらわれないスタイルのいわばギャングです。
かぶき者たちを元に、今の「歌舞伎」という芸能があります。
そんなかぶき者やお尋ね者にならずにもがく。
スキャンダルは芸能人の大敵ですしね。
スキャンダルがなくても「あらぬ事」を「掻き立てられ」てしまうのもまた芸能人。
この辺りはアーティストも俳優もきっと同じようなモヤモヤを抱えているのだと思います。
憧れられ注目される仕事だから尚更、嫉妬まじりにあることないこと言ってもいいみたいな風潮は本当に嫌です…。
そりゃ心底病みますよ。
そのあとまた
言葉すら不要 目の動き一つ全て伝えてしまう仕事
『サントラ』作詞:R-指定
自分を正当化する仕事 自分を過大評価する仕事
と、アーティストと俳優の対比が書かれています。
歌詞を読むのが好きでこのブログを書いていますが、確かに歌詞はいろんな言葉の組み合わせや情景描写を通してやっと一つ何かが伝わるものだなと思います。
ひとこと「頑張れ」と言う歌詞じゃ「頑張ろう」と思えないですよね。
対して俳優さんの演技は身振り手振り、それこそ目の動きで悲しいのか嬉しいのか、嘘をついているのかを言葉もなしに伝えてしまいます。
ドラマ「テセウスの船」での榮倉奈々さんの演技で私はそれを強く感じました。
母親役で子供がいるシーンが多いからこそ、子供の前で強がるしかない「建前」のセリフと、不安や疑心暗鬼といった「本心」を表す表情で見事に「母親」と「容疑者の妻」を演じていました。
自分を正当化する仕事
自分を過大評価する仕事
『サントラ』作詞:R-指定
「正当化」も「過大評価」もあまりいい意味で捉えられないワードですが、そうでなくてはやっていけないんだろうなと思います。
Creepy Nutsも菅田さんも、唯一無二のアーティストですし、世間からもそう認められています。
だからこそ、そんな世間から過大評価された自分と、自分だけが知っている情けない自分の乖離があるのかもしれません。
そんな情けない自分を”正当化”して認め、”過大評価”して最高だと思い込むことで精神を保ってるということではないでしょうか。
この歌詞を書いたRさんは自分の努力や実績は認めても、自分の実力に関しては謙虚な印象を受けます。
そんなRさんだからこそこのフレーズが出来上がったのかなと思います。
泣かせる仕事 笑わせる仕事
見たお前が勝手に重ねる仕事
『サントラ』作詞:R-指定
このフレーズは耳が痛いですね…笑
歌詞や演技に勝手に自分を重ねたりしますもん。
「勝手に」と付けているのは、意図と違う受け取られ方をするということも含めてでしょうね。
CreepyNutsの歌詞は彼らの人生や考えをつづったものが多いので、私みたいに「分かる~」とか言ってる人に対して「勝手に重ねてさぁ~本当に分かってんの?」と思われているのかもしれないですね…。
でも歌詞の醍醐味は自分の心のちょっとした感情を言語化してくれた、というその「気づき」に快感を得ることだと思うので…許して!
ヒトの感情以外は何一つ生み出さぬ仕事
『サントラ』作詞:R-指定
たしかに!
…いやたしかになんて言ってしまいましたが。
これは一般企業に勤めるOLとして言いたい。
”モノ”や”大きな価値”を生み出してる社会人はごくごく一部の社長や職人だけです!!!
ヒトの感情を生み出せる仕事って、ものすごく尊いですよ!
OLなんて上司の「ありがとー」のために働いてるだけですからね。
自信持ってほしい。
映画みたいな生まれ育ちや
ドラマみたいな過去じゃ無くても
華々しく照らしてくれ ありふれた生き様を
『サントラ』作詞:R-指定
サビは結構Creepy Nutsファンとしては
「あぁCreepy Nutsだなぁ」
と思いました。
不良とか少年院卒とかでもないし、語れるような不幸な生い立ちでもない。それは今までの歌詞やラジオで語られてきた、彼らのコンプレックスでしたね。
でもそれを”キャラクター”として共感を得て地位を確立し、ビッグなアーティストになったのがCreepy Nutsというアーティストです。
そんな生き様を照らすのが彼らの「仕事」ということなのかなと思いました。
更にその「仕事」が、彼ら自身の(つまりRさんなら「R指定」ではなく「ノガミキョウヘイ」の)「サウンドトラック」として、映画やドラマのような華やかさではない人生を照らしてくれている、ということなのかなと感じています。
冒頭でも「言葉」についていくつか言及されてましたが、言葉が正しく伝わらなかったり過分に伝えてしまったりするなかで、言葉を使う仕事それ自体が言葉のない「サントラ」として彼らの人生を照らしている、と解釈しました。
この人生ってヤツはつくりばなし
自分の手で描いて行くしか無い
あの日でっち上げた無謀な外側に
追いついていく物語
『サントラ』作詞:R-指定
運命とか奇跡とかありますが、ほとんどは自分の行動次第の「作り話=自分で作っていくストーリー」ですもんね。
「無謀な外側」というのは現実的な道から外れた場所、つまり「夢」のことでしょう。
DJ松永さんはいつぞやのラジオで「もう会ってみたい芸能人は大体会った」と言っていました。
大体の人は憧れの芸能人に仕事で会うなんて「無謀」です。
ましてや「世界一」なんて、目指しもしないです。
アーティストと俳優。
凡人から見たら無謀と思える夢を叶えている人たちだからこその歌詞だなあと思います。
2番
俺は最強で単純で最低なやつ
異常で繊細で平凡なやつ
引き出しが空っぽになるまで全部を
出しても出しても出しても飽き足らず
ココロとカラダの恥部を晒す
『サントラ』作詞:R-指定
2番の冒頭は彼らの華々しい「仕事」のシーンです。
そういう仕事をして「最強」で「異常」でも、結局「単純」「最低」「繊細」で、「平凡」な自分。
身体の恥部は晒しちゃいかんでしょ!と思いますが、作品を見せるって恥ずかしいですよね。
私も歌詞を書いて提供したりしていますが、友達には見せられないですね。恥ずかしくて。
ましてやそれをテレビやCDを通して全国に、となったら毎回恥ずかしかったりするんでしょうか。
こうやって歌詞の解釈を書かれるのも恥ずかしいのかな…
いやでも、Rさんはラジオで「歌詞の意味とか言葉遊びとか、自分で解説するしかない」なんて言ってたし、歌詞考察を書いてる私には感謝してほしいです。
首吊り台から ピースワンラブ
『サントラ』作詞:R-指定
ブルーハーツの楽曲で、「首吊り台から」という曲名のものがあるので、おそらくそこからとったのでしょう。
One loveはラップでよく使われる表現です。
Peaceもレゲエっぽいですね。
フレーズ自体は、ワンピースを想起しました。
Dの一族はころされる直前に笑う、というアレです。
こんな俺を認めてくれるか
あの頃の俺は惚れてくれるか
パッと咲き誇り散ってゆくのか
じっと枯れ残り 腐ってゆくのか
『サントラ』作詞:R-指定
認めますよ!というか憧れてますよ!
ここら辺は芸能人でなくとも考えることがあると思います。子どもの時に憧れてた大人になれてるかなとか。
歌詞をかいたRさんはまさに憧れていた「ラッパー」になっているわけですから、憧れていた頃の自分のイメージというのは強くついて回るんじゃないかなと思います。
「パッ」「ちっ」「じっ」「くさっ」のリズム感がいいですね。
「パっと」は中学12年生の長岡の花火を想起しちゃいます。
26最後の夜 少し期待して目を閉じ眠る
27最初の朝 何事もなくまた目が覚めた
『サントラ』作詞:R-指定
ここで鳴ってるギター好きです。
27歳。
ラジオでも話が出ていたように、天才と言われるアーティストは27歳で命を落とすという話があります。
カートコバーンなんかもそうですね。
でも、結局、27歳になっても伝説を残して亡くなるなんてことはなく、結局28歳になってしまった。
「生きててよかったじゃん」と言いたくなりますが、やっぱり自分は凡人だったんだなと思ってしまうんでしょうかね。
少し分かる気がします。
大人になって、憧れのあの人が結果を残している年齢になっても自分には何もない。
肩書もなければ、突出した能力もない。魔法も使えない。
ときどき
「何にもなれなかったなぁ」
と悲観してしまう時も確かにあります。
まぁできなかったことを悲観しても何にもならないので、未来に夢を託すしかないと思えています。
ツレが遠くへ旅立った日
『サントラ』作詞:R-指定
身内があっちへ行った日
ステージの上から画面の向こうから
この口でほざく「どう?調子!」
Mステに出演した際、『身内があっちへ行った日』のところは「ばあちゃんが」って歌詞変してましたね。木村です。
『どう調子?』はCreepy Nutsの楽曲『月に遠吠え』でも出てきたフレーズです。
Rさんの楽曲『使えない奴ら』では「調子どう?」が出てきます。
このフレーズを、「使えない奴ら」ではメールで、「月に遠吠え」では電話で調子はどうかと聞いていました。
対して今回は「ステージの上から」「画面の向こうから」問いかけています。
この変化に、アーティストとしての成長が見えます。
でも「この口でほざく」と、ちょっと納得はいっていない様子。
伝説になれなかったくせにということでしょうか。
我々凡人からしたら彼らは十分レジェンドなんですけどね。
でも目指す先がまだまだあると言うならこの先も応援しますよ!
声を張り上げ 肩を震わせ
目を見開いて 赤い血をたぎらせて
生々しく書きあげてく 自分だけの生き方を
『サントラ』作詞:R-指定
全身全霊で彼らの仕事をしているのが伝わります。
そりゃそうですよ、彼らの言葉が、動きが、音が、そして彼ら自身が「仕事」ですもんね。
1番の『ありふれた生き様』に対して『自分だけの生き方』。
彼らが唯一無二のアーティストであると言いましたが、結局は芸能人でなくとも生き方は全員違うんですよね。
当たり前なんですけど。
「普通の人生だな」「なんの取柄もないな」と思っても、同じ生き方の人はいない。
自分で描いていくしかないんだなぁと当たり前のことを改めて思い知らされます。
あの日踏み外したレールの向こう側に
刻みつけるこの轍
『サントラ』作詞:R-指定
またおしゃれな表現…。
1番の『物語』とここの『この轍』で韻を踏んでるのは言わずもがなです。
『レールを踏み外す』というのはよく使われる表現です。
そのレールというのはたいてい、
いわゆる普通に学業を修めて、
普通に就職して定年まで働いて、
普通に結婚して子供産んで…
というのが一般的ですね。
まあその「普通」も割合が減った気もしますが。
で、その人生のレールから外れて轍を刻み付ける。
轍は車輪の跡のことですが、”同じ轍を踏む”というように「先例」という意味の慣用句にもなっています。
「レール」と組み合わせることで本来の意味の轍も、慣用句での轍も想起させるおしゃれフレーズです。
ラスト
ライツ カメラ いくつもの夜
『サントラ』作詞:R-指定
いくつものシーンといくつものカット
ライツ カメラ いくつもの朝
いくつものウソといくつものファクト
ライツ カメラ いくつもの目
行き着く先ならいくつもの末路
ライツ カメラ いくつもの耳へ
一枚の素肌から アクション
『ライツ カメラ』というフレーズは先ほどの「月に遠吠え」でもでてきました。
ライツやカメラの代わりとして、月明かりが照らしているという表現でしたね。
『今回のライツ カメラ』は代わりの月明かりではなく本物。
また変化が見られましたね。
月明かりだけに見られていたありふれた日々が、今では「いくつもの耳へ」。
「月に遠吠え」ではうらぶれていたような歌詞でした。
『サントラ』では、売れてるからこその歌詞で、でも単に「売れても大変なんだぞ」という歌詞でもなく、味わい深い歌詞です。
…この曲の感想、言葉にするのが難しいです。
大きな夢を追っている、または追われる人にしか分からない部分もあり、安易に分かると言いたくないというのもあるかもしれません。
ただ、やはりCreepy Nutsの曲はゆるゆると奮い立たせてくれるものがあるなぁと改めて思いました。
歌詞はもちろん、曲も力強くて真っすぐ前を向かせてくれる感じがします。