チャットモンチーの名曲、「Y氏の夕方」。
作詞はドラムの高橋久美子さん、作曲はボーカルの橋本絵莉子さんです。
大人になって改めて聞いてみると、まぁ共感できる。
この歌詞は「明日も晴れる」が肝になっているのかな
と思って歌詞の考察をしてみたのですが、まあ昔聞いた時よりも味わい深いこと。
当時何かで見たのですが、Y氏はマネージャーさんのことのようで、また歌詞にはそんなに関係ないとか。
「神様」「靴飛ばし」の関係
情景を読む
夕闇にきらめくさざんかの花
靴を遠くまで蹴っ飛ばしてみたら
明日も晴れるらしいから
ぼんやり手を光にかざした
作詞:高橋久美子
夕闇にきらめくさざんかの花
ネクタイが揺られてるブランコの上
作詞:高橋久美子
1番と2番のAメロを一気に持ってきました。
あれですね、靴飛ばし。
靴を飛ばして靴底が地に着いたら晴れ、ひっくり返って落ちたら雨。
で、明日は「晴れ」だった。
ネクタイが揺られてるとのことから、靴飛ばしをしているのはおそらくスーツを着た大人です。
夕闇は日が落ちた時間帯、さざんかは冬の花です。
冬のある日の、夕方から夜にかけての時間に、大人が公園にいる。
大体情景が分かりますね。
指の隙間からポロポロこぼれる赤い日差し
指の隙間からポロポロと受け止めきれないな
作詞:高橋久美子
夕闇、と言えどまだ夕焼けが出てたんですかね。
光にかざした手から、受け止められない程に光がこぼれる。
ポロポロという表現は涙を連想させます。
さきほど手をかざした「光」というのは涙のことだったとも解釈できます。
神や占いにすがりたいほどに
不器用な生き方なんて望んじゃないよ
神様が助けてくれるって信じさせて
作詞:高橋久美子
「不器用な生き方」って、響きはかっこいいですよね。
自分、不器用なんで。みたいな。
でも、そんなかっこよさなんて要らないから、神や占いにすがらせて…ということでしょう。
頑張りが空回って報われないのは本人にとって苦しいです。
緻密な計算や、理詰めの努力ができればいいのにね…。
先ほど靴飛ばしという、言わば子供にとっての占いで「晴れ」が出ました。
もちろんそんなものに何の根拠も効力もありません。
そんなの分かってるけど、そういう「占い」や「神様」などの不思議な力で助けてもらえると信じたい。
人知を超えた力を求めてしまうほど、自分の無力さや努力の報われなさに失望しているのでしょう
三寒四温の社会
「明日も晴れる」
三寒四温の社会には休憩だって必要だろ
何回も繰り返した逆上がり
さびくさい真っ赤な手のひら
赤い赤い夕日が
もう一 回やってみっかってそう思わせたんだ
作詞:高橋久美子
三寒四温は、冬の気候を現した四字熟語で、文字の通り「3日ほど寒い日が続き、その後4日ほど温かい日が続く」という意味です。
さざんかと季節が合致していますね。
三寒四温、つまり気温が不安定で忙しい、体調を崩しやすい気候です。
靴飛ばし、ブランコに続き、逆上がりも子供の遊びですね。
童心に返ることを「休憩」としているのでしょうか。
三寒四温は忙しく息の詰まる社会の例えで、我を忘れて初心に帰ることを休憩としていると読み取りました。
夕日が綺麗だと次の日も晴れだとよく言いますね。
赤い夕陽が出ているし、靴飛ばしの結果からも明日も晴れる。
晴れるというのは単に天気の話だけではなく、「いいことがある」という意味も含まれていると思います。
だからまた挑戦しようと思えたんですね
このままでいいわけない
縛られた生き方なんて望んじゃないよ
神様が助けてくれるって信じさせて
このままでいいわけないじゃない
作詞:高橋久美子
縛られた生き方、詳しくは書いてないですが、恐らくは世間の言う「~すべき」「~であるべき」みたいなものに縛られることでしょうね。
社会のしがらみに巻かれてたり、努力が報われなかったり、という状況を客観視して「このままじゃダメだ」と思い始めているようです。
そう思えるあたり、もうあと一歩で変われる気もしますがね。
あともう少しでできそうなんだ
何回も繰り返した逆上がり
作詞:高橋久美子
そうそう。あともう少しで変われる。成長できる。
現状に満足してなくても、やり直せばいい。
占いだろうが神様だろうが、信憑性があろうがなかろうが、「明日は晴れる」と思って何度も挑戦する。
きっとチャットモンチーもこんな風に成長してきたのかなと思わせてくれます。