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【映画考察】「私をくいとめて」‐普通を描いた、普通じゃない映画(後半ネタバレあり)

2020年にひっそりと公開し、上映中にも関わらずなんともうAmazonPrimeで無料で見ることができる「私をくいとめて」。アマプラでの評価も高く、私もすごく気に入ってしまいました。

大人気朝ドラ「あまちゃん」で一躍有名になったのん主演の日常系ラブコメ?です。

「すでに見たからあらすじは要らないよ!」という方は、「Aの正体」から読んでみてください。

あらすじ(ネタバレなし)

脳内の友人「A」(cv.中村倫也)と会話をしながらおひとり様の休日を楽しむ30代の主人公みつ子(のん)。

みつ子は、よくみつ子の手料理を取りに来る謎の関係の男の子、多田くん(林遣都)に恋をしている様子。

私は恋をしているのか?

それが果たして実るのか?

そんなこともAに相談しています。

デキる先輩ノゾミさん(臼田あさ美)にもらった券で一人温泉に出かけたり、結婚を期にイタリアに移住した皐月(橋本愛)に会いに一人で飛行機に乗ったり、おひとり様を楽しみながら、みつ子の「孤独」「怒り」「悔しさ」「発見」「喜び」「焦り」…

などなど、いろいろな感情をゆったりと味わえる映画です。

曇り空のような映画

朗らかで楽しい映画で、見ていて微笑んでしまうシーンが多いのです。

しかし、この映画に感じる曇り空感。

ずっと曇り空のような、明るすぎず暗くもない雰囲気が漂っていたのを感じました。

ドラマチックでもなければ大きな成長物語でもない。

ただ、こういう誰かの日常を覗けるような、ぬるま湯のような温度感の映画が好きな人は本当に楽しめます!

普通じゃないけど普通の人

普通って、何なんですかね。(哲学)

この映画をどんな映画だと言って紹介しよう?と思うと、「普通とは違う映画!」というなんとも陳腐な紹介の仕方になってしまいます…。

ジャンルは「恋愛映画」なのかもしれません。
でも恋愛映画にしては、恋愛以外での苦悩が多いんですよね。アラサーが主人公の映画なのに「結婚に焦る!」という描写もほぼなく。

じゃあ主人公の「成長物語」
でも成長物語にしては、やはり受ける印象は「ぬるま湯」か「曇り空」といった感じで底抜けに明るい!とか、熱い!という印象は皆無なんですよね。

何か目標を達成する!みたいな話でもない。

笑えるシーンもあるし、「コメディ」でしょうか。
でもふざけ倒してるわけではなく、笑わせにきているわけでもなく、ただ個性的な登場人物の行動や言動にクスっとくる感じです。

「サブカル」と言ってみたらどうだろう?
確かに、「おひとり様」「イマジナリーフレンド」「大瀧詠一」はサブカルっぽい…!

でもサブカル映画なら、もっと大衆受けしなさそうなネタを盛り込んでもいいと思うんです。

そう思うと、常識破りの突飛さもないし、楽しいシーンもホロリなシーンもあるし、主人公の趣味は変わってるけど理解しがたいものでもない。

いわば、「普通」の生活を覗いているような映画かもしれません。

映画のジャンルとしては、どのジャンルに当てはめてもなんか収まりが悪い。

でもそれって、「普通」を描いているがゆえなんじゃないでしょうか。

大それたドラマチックな話じゃないリアリティがある。

ちょっと変わったお友達、Aがいるのも個性です。

誰だって、あまり人には話したくないような秘密、あるじゃないですか。

そういう意味でも、「普通」の人を描いた「普通じゃない」映画だなーというのが私の感想です。

※ここから先ネタバレあり!

「A」の正体とは?

みつ子と”会話”をするAは、いったい何なのでしょう。

これが正解!という答えはなく、作者が作り出した「イメージ」なのだとは思いますが、では、Aはなにを表しているのでしょうか。

理性

AはAnswerのAだと作中でみつ子は言っています。

しかし実際は、Aとは「理性」のことなのではないかと解釈しました。

Aは、いつも正しそうなことを言います。

みつ子が焦りに飲まれそうになれば助言をくれて、感情的になれば「落ち着きましょう」と言っていましたね。
また、みつ子は明らかに多田くんに恋してるのに、傷つきたくないがゆえに否定します。

そんなときもAは客観的に「みつ子が多田くんに恋をしている」ことを説き、また多田くんの好意も客観的に説きます。


歯医者の先生とのデート前には、Aが暴走していました。

これも、みつ子が本当は「きらびやかな洋服が着たい」「デートという響きにはしゃぎたい」と心のどこかで思っていたものが具現化した行動だったのではないかと思います。

これって、恐らく誰の脳内でも起こる、いわば「脳内会議」ですよね。

みつ子とAのようにはっきりと会話はしていなくても、

私はあの人のこと好きなのか…?いやいや、そんなんじゃない。でも気が付けばいつも彼のこと考えているな…

という葛藤はあると思います。

そんな誰しも脳内で瞬時に行っている葛藤を可視化?擬人化?したのが、Aの正体なのでしょう。

ディズニー映画「ヘラクレス」でも、まさに「恋してるなんて言えない」という歌があります。

「私は恋で傷ついてきたんだ!これは恋じゃない!しっかりしろ、私!」と歌うヒロイン・メグと、「ニヤけてため息なんてついて…恋してるって認めなさい」と歌うゴスペルガールの掛け合いとなっているのですが、まさにこの掛け合いが、みつ子とAの会議に似ています。

孤独の逃げ道

でも、単なる葛藤だったら、消えたりなんかしないですよね。

また、基本的にAはみつ子が一人の時に現れます。

人といる時でも葛藤は生じるはずなのに、なぜAはみつ子が一人の時にしか現れないのでしょうか。

それはAが「みつ子が孤独に耐えるために生み出したイマジナリーフレンド」だからではないでしょうか。

おひとり様を楽しめるみつ子でも、やはり寂しさを感じる時もあるのでしょう。

友人の皐月は先に結婚し、海外に行ってしまった。

そして彼女以外の友人もいない様子。恋人もいませんでした。

なんとなく置いて行かれたような、寂しい気持ちへの対抗手段として無意識に生み出したのが、Aというわけです。

ディズニープリンセスに似ている?

みつ子とAの関係は、ディズニープリンセスとその相棒に似ていると感じました。

ラプンツェルならパスカル、アリエルならセバスチャン、白雪姫なら小人たち、ムーランならムーシュー。

結局人間は、一人で行動しているつもりでいても、誰かに相談したり愚痴をただ聴いてもらうような相棒がほしいのかもしれません。

そして現実世界には喋れる動物も小人も妖精もいないから、イマジナリーフレンドという形で表出したのでしょう。

やっぱみんな、孤独が苦手なんじゃん。

「お一人様が好き」とか、「一人で行動するのがラクだ」と言い張る人は多いですよね。

というか、私もそうです。

今シーズンは「ソロ活女子」なんてドラマも始まって、「一人行動」ができることは一種の個性、または何かのアピールポイントにでもなりそうな空気があります。

主人公のみつ子も『一人○○』にたびたび挑戦していて、お一人様行動を楽しんでいるようです。

でも友達も恋人もいないみつ子は、脳内に「A」というイマジナリーフレンドのような存在を作り出し、会話をしているんですよね。

結局、一人が平気そうな人でも、誰かと相談したり、どうでもいい報告をしたりしたいんだなと悟りました。

というのも、コロナで友人に会える機会が減り、ちょうど私も「一人」の辛さを実感しているところだったのです。

Aを創出して会話しているみつ子を見ていると、孤独が辛いのは別に弱さなんかじゃない。

普通のことなんだと思えます。

「一人でも行動できる」

「むしろ一人の方がラク」

「…でもずっと孤独はイヤ」

孤独ってワガママですね。

でも、こんなワガママな感情も、人間らしくていいなと、Aと会話するみつ子を観ていて思えました。

何も変わらないみつ子、大きく変わった皐月

イタリアのシーンでは、みつ子と皐月の対比が目立ちました。

みつ子の「いつもの風景」は、皐月にとっては「懐かしい景色」というのが強く印象に残ります。

結婚、海外移住、妊娠。生活の全てがガラッと変わって心細かったであろう皐月は、ずっとみつ子を想っていたようです。

イタリアのものを送ったり、「コロッセオにみつ子を連れて来たかった」と言ったり、下着の色が派手なのをなつかしんでちょっと嬉しそうにしたり。

皐月はみつ子より先に結婚して、母親になって、生活も大きく変わって、みつ子は皐月に「置いて行かれた」という気持ちを少なからず持っていたと思います。

対して、自分は何も変わってないとう焦りもあり。

だから「皐月にとっては懐かしい景色でも、私にとっては日常の風景」というようなセリフを不機嫌気味に放ったのでしょう。

でも、本当は不安で押しつぶされそうだったという皐月。

大事な友人であるみつ子の前で、ちゃんと泣けてよかったですね。

ニガテな飛行機から弾けていくみつ子

で、みつ子は変わらないままなのか?

というと、そうでもないです。

ニガテな飛行機に乗ってパニックになったとき。

Aの言う通りイヤホンをして、大瀧詠一の「君は天然色」を流し、何かが弾けたように歌詞の文字たちが風船のように飛行機内に浮かびました。

そのとき、みつ子自身も何かが弾けたような気がしました。

いや、みつ子が変化したというより、みつ子を取り巻く状況が変わっていきます。

涙を流す皐月。
デートに誘う多田くん。
Wデートに誘うノゾミ。
告白してきた多田くん。

結局これって、みつ子の起こした行動から発展したことですよね。

ニガテな飛行機を乗り越えた。

勇気を出して多田くんにメッセージを送った。

イタリアに行く前の温泉旅行のお笑いステージでは、ふざける観客に注意が出来なかったんですよ、みつ子は。

そんな自分が嫌になり、またAと会話していたんです。

でもイタリアに行く決意をしてからは、少しずつ「孤独」を脱する努力をしていましたね。

大瀧詠一さんの「君は天然色」の歌詞になぞらえて、みつ子の人生に色がついていった気がします。

「脱・孤独」の副作用

そうして多田くんとも付き合うことになり、「脱・孤独」となったみつ子。

しかし、旅行中のホテルで泣き出してしまいます。

このみつ子が泣いたシーンは、私も知っている感情のような気がしました。

一人でいるのが得意。

一人でいるのが寂しい。

一人でいる方が楽だった。

恥ずかしい。怖い。嬉しい。悔しい。

久しぶりに恋人ができたみつ子の中には、こういう複雑な感情が同居していたのでしょう。

自分の知っている恋愛とは違う、みたいな。

自分は成長してるし、相手も違うのだから、数年前の恋愛と比べても全然違う感情になるのは当然といえば当然です。。

でも、同じ「恋愛」をしているはずなのに感情は未知のもの。

そんな吸い込まれるような恐怖に襲われて、みつ子は氷まみれで泣いていたのでしょう。

孤独に慣れて、孤独を孤独とも認識しなくなった日常のなかで、突然自分に深く干渉してくる相手がいたら、「副作用」のように無意識的に反発してしまうのも無理はないですよね。

副作用にもがきがらも、もう孤独じゃない。

Aが消えてしまったのは、この「脱・孤独」によって、現れる必要がなくなったからなのではないでしょうか。

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