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【歌詞考察】BUMP OF CHICKEN『なないろ』‐フレーズの意味をファン歴10年が最速考察!

2021年5月スタートの朝ドラ『おかえりモネ』のタイアップ曲『なないろ』。

軽快なメロディに載せられた歌詞は、BUMPの特徴である「リスナーに寄り添う」感覚が色濃く表現されています。

『なないろ』というワードは一般的に「虹」を指しますが、そんな「虹」に関連して天気や空に関するワードもたくさん登場します。

BUMPの他の曲との関連性

BUMPの歌詞は、他の曲と似た表現があったり、伝えたいことが似ていたりすることが多いです。

『なないろ』を聴いて真っ先に思い浮かんだのが、同じくBUMPの曲である『虹を待つ人』との関連性です。「虹」というワードが『なないろ』にも出てきます。

『虹を待つ人』‐虹はすでに見ている

最後の方の歌詞も繋がっているように見えます。

こちらが『虹を待つ人』↓

そのドアに鍵は無い
うまく手は繋げない それでも笑う
同じ虹を待っている

『虹を待つ人』作詞:藤原基央

こちらが今回考察する『なないろ』↓

手探りで今日を歩く今日の僕が 
あの日見た虹を探す今日の僕を
疑ってしまう時は 教えるよ 
あの時の心の色

『なないろ』作詞:藤原基央

『虹を待つ人』ではタイトル通り、虹を”待って”いました

しかし『なないろ』では、虹をすでに見たことになっています。

「虹」というのは、おそらく「素敵な体験」「嬉しいかったこと」など、忘れられないポジティブな出来事でしょう。

『虹を待つ人』では、そんな「虹」を待つだけにとどまっていました。

そしてそのあと、無事に「虹」に出会うことができた。

「虹」を見た日からしばらく経ち、「本当にあんな素晴らしい体験をしたんだっけ?」「夢だったのでは?」と疑いの心をもってしまっているのが『なないろ』です。

『虹を待つ人』‐古傷は消えることがない

またも似たワードがあります。それが『虹を待つ人』の「痛み」と『なないろ』の「古傷」。

「虹」と対になる意味合いで、「傷ついたこと」や「苦しかった経験」など、忘れられないネガティブな出来事のことでしょう。

「虹」に出会う経験を経ても、「痛み」は消えることがないんですね。

隠そうとしても、結局存在する。

でもそれはずっとマイナスに作用するわけではなく、『虹を待つ人』の歌詞にあるように『寄り添って』くれるんですよね。

たとえば人を亡くした「痛み」だったら、その人を大事に想っていたという記憶は心を温かくしてくれます。

努力が報われなかった「痛み」なら、自分は努力ができるんだという自信にもなります。

「痛み」や「古傷」があるということを称賛も否定もせず、単なる事実として描いていることも、BUMPの歌詞の特徴だったりします。

『ハルジオン』との関連

「虹」「傷」そして「水たまり」というワードは、なんと19年前の楽曲『ハルジオン』にも出てきます。

しかも『ハルジオン』では「虹」や「水たまり」の正体について表現されています。

「虹」・・・夢と希望

「水たまり」・・・涙泣いた跡

これらは『なないろ』にも意味が通じますね。

ただ、「虹」をここでは「夢」と解釈すると、『ハルジオン』において「虹」は”触れられない”夢とされていますが、『なないろ』では「虹」は”過去に達成した”夢です。

触れられない夢を追うのも、達成した夢の記憶が遠くなり疑ってしまうのも、苦悩を伴うものなんだなということが分かります。

ここからは、『なないろ』の歌詞全体を考察していきます!
すでに歌詞を多少覚えている方向けになるので、まだ歌詞をよく見たことがない方は公式Youtubeの概要欄からどうぞ。

”晴れ”と”雨”について

歌詞の中には「晴れ」「雨」やそれを連想させるワードがいくつか出てきます。

MVも「晴れ」「雨」が登場しますね。

個人的にはイントロの音も「晴れ」と「雨」が表現されているのかなぁと感じました。(明るいギターが「晴れ」、しぼむようなエフェクトが「雨」)

『なないろ』において、「晴れ」「雨」がどんな意味を持つのか考察していきます。

「晴れた朝に一人ぼっち」の意味

闇雲にでも信じたよ 
きちんと前に進んでいるって
よく晴れた朝には時々 
一人ぼっちにされちゃうから

『なないろ』作詞:藤原基央

「晴れた朝」というとハッピーな気持ちを想像してしまいますが、『一人ぼっちにされちゃう』とあるのが冒頭から気になります。

「闇雲」は、暗い雲の中のように先の見えない状況を進んでいくこと、と解釈しました。
MVでもそんなシーンがありましたね。

前に進んでいる=成長したり進歩したりしていることを”闇雲に信じている”だけで、実際に進んでいるか分かりません。

というか、暗い雲の中で進んでいるから、他の人がどれくらいのスピードで進んでいて、自分がどの位置にいるかなんて知らない。

「晴れた日」は、他人と比べた自分が良く見えてしまって、置いて行かれた気持ちになってしまう。

それが「一人ぼっち」の意味だと解釈しました。

”時々”の効果

でもその置いて行かれた気持ちになるのが「時々」というのがまたリアルだなぁと思いました。

いつでもポジティブなわけではないし、毎日ネガティブなわけでもない。

他人と比べて平気な日もあれば、「自分はなんてダメなんだ」と感じてしまう日もある。

そういった”人間らしさ””リアルさ”が「時々」というワードがあるだけで感じられてしまいます

“水たまり”とは

昨夜の雨の事なんか
覚えていないようなお日様を
昨夜出来た水たまりが 映して 
キラキラ キラキラ 息をしている

『なないろ』作詞:藤原基央

先ほど、『ハルジオン』では「水たまり=涙の跡」だと言いました。

『なないろ』における「水たまり」も同じく泣いて涙が溜まった跡だと解釈して良いでしょう。

『なないろ』における雨とは

「雨」と「水たまり」の関係を考えると、「雨が降ったから水たまりができる」。

つまり
「水たまり=涙が溜まった跡」
なので
「雨=泣いていること」
と考えていいでしょう。

夜、何かが原因で、あるいは何もなくても涙が出てきたのに、朝になったらその時の感情なんて忘れてしまう。

『水たまりが/息をしている』というところがBUMPらしいというか、「泣いてたけど忘れちゃった」じゃなくて「泣いたという事実もここにある」ってことが表現されてるんですよね。

「晴れ」「雨」の意味

歌詞で「晴れ」「雨」というワードが使われるとき、一般的には

「晴れ」=ハッピーな気分

「雨」=悲しい気分

という風に使われます。

この『なないろ』も同じような使い方をされているように見えます。(「雨」は泣いていること、でしたね)

しかし、単純に「晴れ=ポジティブ」「雨=ネガティブ」というわけでもありません。

冒頭の『よく晴れた朝には時々 一人ぼっちにされちゃう』は、「晴れ」を少しネガティブに捉えています。

他にも、2番の

治らない古い傷は 
無かったかのように隠す 
お日様が 昼間の星と同じだね 
本当は キラキラ キラキラ この街中に

『なないろ』作詞:藤原基央

も、「お日様」が「事実を隠すもの」として表現されています。

『なないろ』の歌詞において「晴れ」は確かに「ハッピー」なことではあるのですが、気持ちが雨である人を置いて行ってしまうもの、というような意味合いも含んでいます。

ここでの「晴れ」は「笑顔」に似ているかもしれません。笑顔はハッピーを表現するものだけど、悲しい気持ちを誤魔化したりもしてしまいます。

「古い傷=過去の辛い記憶」は、笑顔や新しい記憶で”隠す”ことはできてもなかったことにはできません。忘れたつもりでも、ときどき思い出してしまいます。

そんな「古い傷」が『昼間の星と同じ』という表現がおしゃれで、BUMPらしいですね。

昼間も本当は空に星が見えるはずなのに、太陽が明るすぎるせいで”見えないだけ”なのですから。

”傘”について

サビに登場する、2つの印象的なフレーズに、「傘」が登場します。

『なないろ』において、「傘」は何を表現しているのでしょうか。

「傷」はいずれ「傘」になる

失くせない記憶は傘のように 
鞄の中で出番を待つ

『なないろ』作詞:藤原基央

「傘」は「雨が降ったときにさすもの」です。もっと言えば、「雨から自分を守ってくれるもの」です。「鞄」に入るサイズなので折り畳み傘なんですね。

「出番」というのは言うまでもなく「雨が降ったとき」ですね。

以上を踏まえてこのフレーズをまとめると、そんな「傘」のように「失くせない記憶」も「雨=泣いてしまう気分」から自分を守ってくれるということです。

BUMPの歌詞において「辛い記憶」って必ずしもマイナスに捉えられないことが多いです。

先ほど紹介しましたが、『虹を待つ人』でも「痛み」は「寄り添って」くれてましたね。

「悲しい」「苦しい」「辛い」という経験は、大きく心を動かしたからこそ得られる経験です。

大事だったから、離れるのは悲しい。
頑張っているから、苦しい。
愛したから、失うのが辛い。

結果としてマイナスな記憶が残ったとしても、そこから得られるのは「強さ」や「優しさ」です。

そしてその「強さ」「優しさ」が、また自分の気分が「雨」になったときに「傘」になってくれるから、その出番をいつまでも消えずに待っている、というのがこのフレーズの真意だと考察しました。

”失くせない記憶”とは

失くせない記憶も傘のように 
鞄の中で明日へ向かう

『なないろ』作詞:藤原基央

1番で『失くせない記憶”は”』となっていましたが、2番では『失くせない記憶”も”』となっています。

つまり「僕」と一緒に「明日=未来」に進んでいくということですね。

ところで、「失くせない」というワードもまた絶妙です。

「失くしたいのに」失くせない、
「大事だから」失くせない、

どちらの意味もあると思います。

まさに2番に出てくる

思い出すと寂しいけど 
思い出せないと寂しい事
忘れない事しか出来ない

『なないろ』作詞:藤原基央

これは、「失くせない記憶」のことでしょう。

”僕”と”君”について

「僕」と「君」の関係性

1番のサビに、「僕」と「君」が出てきますが、果たして誰のことなのでしょうか。

 手探りで今日を歩く今日の僕が 
あの日見た虹を探すこの道を
疑ってしまう時は 教えるよ
あの時の心の色
胸の奥 君がいる場所

『なないろ』作詞:藤原基央

僕とか君とか、一人称なんだか二人称何だか分からない表現が多いです。

が、これもBUMP特有の表現です。

『涙のふるさと』や『オンリーロンリーグローリー』などと同じように、今回も「君」=「僕」であると考察しました。

なぜかと言うと、

「教えるよ」の主語は「僕」です。

そして教えてあげる相手は「君」です。

で、さらに「君」というのは「道を疑っている人」です。

そして道を疑っているのは、「僕」です。

…複雑ですが、文字で伝わりましたでしょうか。

BUMPの楽曲をよく知っている、あるいはいろんなアーティストの歌詞を聴き込んでいる方には

こんなの解説しなくても分かるわ!

と思われそうですが、なにぶんこのサイトは「ちゅうがくにねんせいでもわかる!」をコンセプトにしているので、悪しからず。

そして「僕=君」は聴き手自身のことであり、また聴き手に寄り添い語り合うBUMP自身のことでもあります。

この感覚も、BUMPの歌詞を聴きなれていないと捉えるのが難しいですよね…。

だからBUMPに出会った中学生の私でも分かる考察記事を書きたくてこのサイトを運営しています!

「君」と「あの日」とは

ラストのサビです。

手探りで今日を歩く今日の僕が 
あの日見た虹を探す今日の僕を
疑ってしまう時は 教えるよ あの時の心の色
また会うよ 戻れないあの日の 七色

『なないろ』作詞:藤原基央

「君」は1番のサビにしか出てきません。

1番で『君がいる場所』だった部分がラストでは『戻れないあの日の七色』になっています。

あの日」は直前にある通り「僕」が「虹」を見た日です。

そして冒頭でも書いたように「七色」は日本では一般的に「虹」を指します。

つまり「君」は、「過去に虹を見た日の僕」ではないかと解釈しました。

「虹」というのは「忘れられないほどのポジティブな記憶」と書きました。

なので、「君」をもっと噛み砕くと、「僕」がどうしても忘れられないほどステキな記憶の中に存在し続ける「僕」ということですね。

「傷」や「痛み」の真逆であり、歌詞の上では「虹」とほぼ同じ意味合いだと考えていいでしょう。

そのままの君で

「涙の砂」とは?

2番のサビです。

歯磨きして顔洗って着替えたら 
いつもと同じ足で出かけようぜ
相変わらずの猫背でもいいよ 
僕が僕を笑えるから 涙の砂 
散らばる銀河の中 
疲れた靴でどこまでだっていける 

『なないろ』作詞:藤原基央

『いつもと同じ』とあるように、猫背だったり、疲れた靴だったり、2番のサビではいつも通りのそのままの「僕」が表現されています。

この2番のサビの中でひときわ『涙の砂』というフレーズが気になりました。

涙は濡れているもの、砂は乾いているもののイメージです。

ここでいう『涙の砂』というのは、「泣いたという事実があったこと」そして「その涙がとっくに乾いていること」を表しているのではないかと考察しました。

銀河は、地球を含めていろんな生命や物質を抱えたものです。

そんな広大な銀河に『涙の砂』、つまり、あらゆる生命の感情やその軌跡があるということでしょう。

星によっては地球のように砂があるので、そういう意味でも『涙の砂 散らばる銀河の中』というフレーズが出てきたのだと思います。

これってダブルミーミングじゃね?!

「起き方」を教えるわけではない理由

躓いて転んだ時は 教えるよ
起き方を知っている事

『なないろ』作詞:藤原基央

「躓く」「転ぶ」「起き方」というのは比喩です。

「躓く」「転ぶ」は失敗や後悔など、「起き方」はそれらから立ち直る方法のことです。

Twitterなどでも話題に挙がっていた『教えるよ 起き方を知っていること』というフレーズ。

起き方を教えるわけではないところがBUMPっぽい」という意見もあって、私としても半分同意です。

で、もう半分というのは。

教えるというのは「僕」が「僕」に教えるってことなんですよね。

だから「起き方」を教えるという歌詞にしてしまうと、「どうやって起きるか知らない僕」「知ってる僕」が存在することになり、そもそも矛盾が生じちゃうんです。

解離性人格障害とか、小難しい歌ではないですから。

『起き方を知っていること』を教える場合、この「教える」は「思い出させる」と言い換えることもできます。

この場面は「僕は起き方を知ってたはずだよ。過去も立ち直ってきたんだから、また今回も立ち直れるよ!」と、自分自身を励ましている場面だと解釈できます。

補足をすると、「僕」には『治らない古い傷』があることが2番の歌詞で分かります。

そして『夜を越えて』来たことも描かれています。

そうやって傷つきながら、忘れたくても忘れられないながらも今まで生きてきたんだからそのままで大丈夫だよ、というのが2番のサビをザックリ要約したものになるでしょう。

最後に‐「起き方を知っていること」を教えてくれるバンドBUMP OF CHICKEN

この『なないろ』という曲(に限らずBUMP全般かも)の歌詞は、「僕」が聴き手だったり歌い手=BUMPだったり、両方含んでいたりする。

BUMPの歌詞に触れ慣れていないと解釈が難しいなと、ファン歴が10年を超えた今でも思います。

でもそれがまた、BUMPが「聴き手に寄り添うバンド」と言われるゆえんでもあって。

『教えるよ 起き方を知っていること』というフレーズはまさにBUMPの楽曲そのもののことでもあります。

世の中、宗教やら自己啓発やらマインドフルネスやら、「起き方」を教えてくれるモノや知識はたくさんあります。

音楽なんてその点、実用性もなければ、勝手に耳という感覚器官に入ってきた波を脳が処理しているだけ。
生物にとっては無用の長物です。

でもその無用の長物のはずであるBUMPの奏でる言葉は、聴き手に「起き方を知っているんだよ」と語りかけます。

あ、スピリチュアルじゃないですブラウザバックしないでください

ここでいう「起き方を知っていることを教えてくれる」とは、「気付きをくれる」という言葉に近いでしょう。

会えないままでどんどん大人になること。
おそろいの記憶を知ることが無理であること。
君と知り合う前の僕を君は知らないということ。
何回転んだっていいってこと。

普段考えもしないけど、「気付く」ことで思いを馳せることができる。
大切さを実感することができる。
生きる価値を感じることができる。

BUMPの楽曲はそういった意味で、『起き方を知っていること』を教えてくれるなぁと思ったのでした。


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