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【歌詞考察】ENDRECHERI「Everybody say love」-優しい世界を望む、悲鳴のような祈り

約半年ぶりのENDRECHERIのアルバムが出ました。

いいペースですね。

先週(6/20)のラジオ「堂本剛とFasion&Music Book」では、Everybody say loveを2回も流してくださいました。

ノリやすくて聴きごちがいいのですが、歌詞も剛さんの強い思いがドスンと乗っかっていて、曲と歌詞に割とギャップのある曲だなあと思いました。

この曲を、順を追って解釈を広げていきたいと思います。

作詞:ENDRECHERI

責めるのは終わり

Everybody say love 君を責める 僕は終わりさ

Everybody say love 僕を責める 君は終わりさ

作詞;堂本剛

いきなりドスンと、ENDRECHERI節。

素直に読むとお互い責めたりせず思いやりを持とう、というように読めます。

ただ先日(6/20)のラジオでの話や、いつもの剛さんの話を聴いてる感じだと、違う考えを責めたり排除するのではなくうまく共生しよう、ということなのかなと思いました。

単に優しくする(本人にとっては当たり前の行動でも)のではなく、違う考えを「許し合う」違う人間同士「支え合う」ということを言いたいのかなと思います。

剛さんも感じて悩んでるようですが、誰かにとっての優しさや正義はまた、他の誰かにとっては悪であったり気に入らないものであったりしますもんね。

優しさや正義を押し付けるのではなく、違う考えはうまく取り入れたり距離を置いて、攻撃し合わない世界になったらどれだけいいか。

素敵な世界を望む一方、自分も気を付けなきゃなあと思う次第です…。

愛の意味

限られた 鼓動を 余さず 笑って 生きてたい

見失うばっかね 僕ら いつも 愛の意味を

作詞;堂本剛

「限られた~生きてたい」

なんとまたおしゃれな…。

「限られた時間や人生」と言うよりも現実味がありますね。

人間の鼓動の回数や細胞分裂の回数は限られてると言いますからね。

でも本当に、せっかくの人生、できるだけプラスの感情を多めに働かせていきたいです。

」というワードは剛さんの歌詞にも発言にもよく出てきます。

世俗的な恋愛だとか親子愛に限らず、本質的な「」。

「お前のためを思って」

「好きだから言ってる」

「好きだったのに」

こうやって本質を見失った「愛」を盾に傷つけてくる人はいますね。

きっと剛さんも、アイドルと言う性質上こういうたぐいの言葉の暴力に傷つけられてきたんだろうなぁ。

そうして傷ついて、「僕」=剛さん自身も愛の意味を見失ってしまう…。

もっと、言葉の威力を考えながら、思いやって発言できる人が多くなればいいんですけどね…。

アイドルである堂本剛の傷

泣いている いま たった このいまも

誰かが また 傷つき 泣いている

耐えている いま たった このいまも

愛を信じて待っている

作詞;堂本剛

し、視野がお広い…。

でもたまに考えますね。

特にSNSが当たり前のこの時代。

自分が楽しく過ごしているときも、SNSでは誰かが悩んだり辛い想いを吐露しています。

SNSもその人のたった一側面であって、その裏に抱えたモヤモヤした思いや黒い感情があったりします。

私は割と素の自分しか出せないんですが…。

先日モヤモヤした想いを相談しようと友人に連絡をしたら、「いま落ち込んでるからまた今度」と言われたことを、この歌詞で思い出しました。

一緒に遊んでるときの元気な友人しか知らなかったので少し驚きましたが、まさに、このいまも何かに泣いて何かを耐えて生きている人がいるんだなぁと思いました。

この部分もやはり、アイドルという特異な存在故に

「ラクしてる」「ズルい」

「煌びやかな仕事だから傷つけてもいいだろう」

みたいな扱いを受けた剛さん自身を表現しているのでしょうか。

良くないですよね。

「悪いことしたから傷つけていい」

「自分よりいい思いしてるから傷つけても問題ない」

こんな考えが根底にある人が多いなぁとネット社会においてすごく感じます。

ましてやそれを正義だと思っていそうな投稿や発言も多いですよね。

…と、少ない文字数でここまで語らせてしまうたった4行の歌詞。

少しの言葉に想いを凝縮させるのは流石と言ったところです。

「気づく」とき

もしも 世界で 気づくときが来るなら…と

たったこのいまも 人類(ひと)の愚かさに 崩れてく

宇宙(そら)へと 還るときに 僕らが

どれほどの 悲しみを 引き連れても 地球は輝けない?

作詞;堂本剛

先ほどの

「このいまも泣いている/耐えている」

人がいることにみんなが気づけたら

という反実仮想ですね。

結局声を上げても足掻いても、他人の傷に気づかない人は多いんです。

気づかないフリとか、敢えて目を逸らしているひとも多い気がしますがね。

「声を上げる」が比喩でなく、実際に「助けて」と声を上げても、非情な言葉をかけて黙らせたり、無視する場面には悲しいかなよく遭遇します。

宇宙へ還る(=亡くなること?剛さんの宇宙観は独特なので明確には理解できなさそうです)時に、地球から悲しみを連れて行ったとしても、地球は輝けない。

たとえ悲しみがなくなっても、怒りや憎しみ嫉妬などが残ってしまうからということですかね。

剛さんはラジオで「優しくしてしまう」と言ってました。

困っている人に手を差し伸べるのが剛さんにとっては当たり前だそうで。

もちろんそれを素直に受け取れる人ばかりだったらいいのですが、その世間でいう「優しさ」に対して「いいひとぶってる」だとか、更には「あなたの言うとおりにしたら失敗しました」と言わんばかりの反応が返ってきたり。

…難しいですね。

「悲しみ」が世界からなくなり悲しい思いをする人がいなくなっても、結局こういう負の感情は残るから世界は輝けない、と。

この曲はあまり自己主張の強い歌詞ではないですが、ちゃんと耳を傾けると耳が痛かったり、うな垂れてしまうような歌詞です。

でもこの噛み応え(?)のある歌詞が好きですね。

日本語の分かる全ての人に読んでもらいたい。

考え、感じてもらいたい。

世界が、剛さんの望むような、「愛」の意味に向き合える人で溢れればいいなぁ。

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