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【歌詞考察】作詞家視点で「残酷な天使のテーゼ」考察してみた【及川眠子「ネコの手も貸したい」を読んで】

「残酷な天使のテーゼ」はもう20年ほど前の楽曲にも関わらず、しかもアニメの主題歌にも関わらず、多くの国民に愛される楽曲です。

エヴァを知らない方が書いたという「残酷な天使のテーゼ」に、エヴァファンの私がエヴァのストーリーとの意味付けをしつつ、歌詞を解説していきます!

及川眠子さん『ネコの手も貸したい』

作詞は及川眠子さん。

2年前に及川さんは作詞の指南書「ネコの手も貸したい」を出版しました。

何度も読んでますが、読むたび学びのある本です。

制作裏話や独特な言葉の選び方、タイトルのきっかけ、メロディへの言葉のハメ方など、「歌詞を読む」のが好き、または作詞までしている人にとっては、楽しくて仕方がない内容がたっぷり詰まっています。

その本の中には、彼女の代表作である「残酷な天使のテーゼ」の歌詞の解説も載っています。

もちろん内容は公開しませんが、読んだうえで新世紀エヴァンゲリオンファンの私が「残酷な天使のテーゼ」の歌詞の考察・解説をしていきたいと思います。

…というのもこの及川さん、エヴァンゲリオンをちゃんと見てこの歌詞を書いたわけじゃないそうなんです。

それでこの完成度マジか。

残酷な天使のテーゼは誰の歌か

まず前提として。

この歌詞はエヴァンゲリオンの主人公である碇シンジの母親や周囲の年上の女性、つまり、主に碇ユイや葛城ミサトがテーマとなっております。

もちろん及川さんはエヴァを観ていないので「碇ユイです」「ミサトさんです」と明言はしていません。

テーマ決定の経緯はぜひ本を読んでいただきたいのですが、「母親の愛情」が主題となっていることはちゃんと読み解くと分かるのでお伝え出来ます。

歌詞をエヴァに紐づけてみる

何度もお伝えしている通り、この歌詞はエヴァンゲリオンを観ていない」方が書いたものです。

もちろん概要は伝えられていたようですが、内容や登場人物の名前はさっぱり、という具合にしかご存じない状態で書かれたものです。

ですので「この歌詞はアニメ〇話のxxxというシーンのこのとである(眼鏡クイッ)」と断言できるものではありません。

それを踏まえてこの歌詞を考察・解釈しながら、アニメ、劇場版、漫画を観てきた者として、エヴァンゲリオンに「紐づけて」みたいと思います。

1番-エヴァの主題歌としての存在感

少年よ」という語り口から、この曲での主人公は作品の主人公の「碇シンジ」ではないことが分かります。

「天使」「神話」というワードはエヴァの世界観を語るうえで欠かせないものです。

冒頭からしっかり「エヴァの主題歌」としての存在感を示していますね。

この曲はエヴァに全く言及していません。

その代わりにこの「天使」「神話」が作品の世界観とリンクし、エヴァの用語を使わずとも「エヴァの主題歌だね」という印象を強く残しております。

意図してかは不明ですが(多分してない)、「神話になれ」というフレーズはサードインパクトを彷彿とさせます。

人類が一つになるなんて、まさに神にしかできない行為ですからね。

1番の冒頭は、「あなた」=幼少期の子供について母親が語っているような歌詞です。

蒼い風が 胸のドアを叩いているというのは、そろそろ青春期を迎えつつある、簡単に言えば大人になりゆく年齢であることに読み取れます。

この辺りは母親である碇ユイのイメージが強く浮かびますね。

そっとふれるもの もとめることに夢中の部分は、赤ん坊の反射行動を思い浮かべました。モロー反射、探索反射…。

赤ん坊のころのシンジを抱きながら「この子はセカンドインパクト後の世界を生きていくのね」とユイがつぶやく回想シーンがあります。

運命さえまだ知らないの部分はこのシーンにピッタリだと思いました。

一般的に、J-POPなどの歌詞において「羽根」「」は「何かに挑戦する勇気」の比喩に使われることが多いです。

「遥か未来目指すための羽根」というフレーズについても同じことが言えそうです。

エヴァに当てはめると、本当の意味で「羽根」が生えるようなシーンもありました。

シンジはよくイヤホンを耳に着けていて、周囲とのかかわりを遮断するようなシーンがよくありました。

育ててくれた家とも随分心の距離があったようです。

しかし、同級生や他のパイロット、NERVとのかかわりの中で、人と関わることの心地よさに自然と気づいていくようです。

小さなことですが、一回目の勇気のおかげでできるようになった、自分でも飛べる羽根があるんだと気づけるきっかけとも言えます。

シンジの「僕はここに居ていいんだ!」という有名なセリフも、まさに「羽根があること」に気づいたシーンとも言えます。

サビは、部屋の窓から外へ飛び立つ保護からの卒業のイメージです。

思い出を裏切る、というのは、言葉は強いですがこちらも「私の愛情から卒業していく」を語調強めに表現したものだと思います。

エヴァでの「保護からの卒業」といえばミサトさんのイメージが強いですかね。

完全に卒業、というシーンはありませんが、反抗したり家出をしたり嫌味を言ってみたり、シンジが保護という部屋の窓辺から飛び立とうとするシーンは何度もあります。

2番-エヴァの世界観を表すフレーズたち

もしもふたり逢えたことに意味があるなら
私はそう 自由を知るためのバイブル

エヴァファンでない方が歌詞に「使者」を織り込めるのは偶然とはいえすごい…。

↓↓エヴァを知らない方へ↓↓

【アニメ版にて「最後のシ者」というタイトルの回があるのですが、これは「最後の使徒(エヴァでの敵)」と、その最後の使徒の人間としての名前である「渚(漢字を分解してシ者)」、更に亡くなった人の意味をかけていて、物語が大きく動く回なんです。

「使者」という言葉自体エヴァンゲリオンという作品に重要な意味を持つ言葉なので、「すごい」と言いました。】

あなただけが夢の使者に呼ばれる」というのは、作品に当てはめるとシンジがパイロットに選ばれた出来事でしょう。

世界中の時を止めて閉じ込めたい」というのは、このまま私の庇護下に居て!大人にならないで!という親心に思えます。

「私は~バイブル」のフレーズは親として、自分に言い聞かせている気がします。

さきほどの歌詞では「時を止めて閉じ込めたい」と言っていました。

言ってしまえば束縛です。

でもこちらでは「私」は「自由を知るためのバイブル」と、真逆な表現をしています。

本当は大人にならずにいつまでも私の元にいてほしい、でもそれではダメ、子供には自分の生き方は自分で決めさせなきゃ…!

といったところでしょう。

バイブルは聖書という意味で、転じて悩んだときに見るもの、その道の指南書という意味でも使われます。

バイブルという言葉自体、エヴァのユダヤ教的な世界観に合致していますね。

意味的に考えるとこの「」は、シンジと同居するアラサーのお姉さん、ミサトさんのように思えます。

自分の存在価値を見出そうとしない少年シンジにとって、自由奔放で天真爛漫なミサトさんは、まさに「自由を知るバイブル」とも言えます。

「私があなたを産んだ」ではなく「ふたり逢えた」と言うところも、奇しくも本当の親子でないミサトとシンジの関係に合致しますね。

また偶然にも「ひかり」という登場人物の名前が…。

先ほど「夢の使者」が出てきました。

その正体が、タイトルにも出てくる「天使」のことでしょう。

天使=夢の使者によってもたらされる、保護者にとっては残酷なテーゼ=子供が大人になり、巣立っていく運命を歌ったもの、と言うのが私の解釈です。

「悲しみがそして始まる」の「悲しみ」はもちろん親としての寂しさですね。

ちなみに冒頭では「残酷な天使のように」となっていますが、この部分に関しては「残酷な」は「テーゼ」ではなく「天使」にかかっていそうです。

天使は、この曲の中では「私」に

残酷な運命=子供の巣立ち

をもたらすものです。

いわばそれば周囲の友人だったり、子供を大人に導く大人だったり、好きなもの、夢中になれるものだったり。

そんな「天使」たちのように、夢を見、大人になりなさいというのが冒頭部分でしょう。

ラスト-生命の連鎖

『愛をつむぎながら歴史をつくる』、まさに生命の連鎖です。

エヴァンゲリオンにも、メインテーマでないにせよ様々な愛の形が登場しました。

女神なんてなれない、はシンジの実質的な保護者であるミサトさんにも当てはめられます。

「保護者失格ね」というようなセリフもありました。

本来の歌詞を読み解くと、「自分の子供も大人になり、やがてパートナーを見つけて家庭を持つ。その成長を手放しでは喜べないけど、受け入れて生きていくしかない。」といったところでしょう。

今回は、エヴァをほぼ知らない及川さんが書いたこの残酷な天使のテーゼを、逆にエヴァに当てはめてみました。

歌詞を読むだけでなく、「この人にとってはどういう意味になるだろう」と考えるのも歌詞を読む醍醐味だと思います。

「残酷な天使のテーゼは知っているけどエヴァは観たことがない」という方も多いと思います。

エヴァは本当にいろんな観方や解釈が出来て、何度見ても新しい発見がある作品です。

ぜひ作品の方もご覧になってみてください!

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